ヨブ記を読む(1)《ヨブ記 2:11-3:10》存在の深み(1994 週報・神戸教会)

1994.10.16、神戸教会週報、聖霊降臨節第22主日

(神戸教会牧師17年目、牧会36年、健作さん61歳)

(サイト記)後(2005年)に健作さんは、この日から始まるヨブ記の講解説教のきっかけを次のように書いている。「1993年9月に発病し、一年余り急性白血病で闘病をしてきた藤村透さんのことを思い、もう一度ヨブ記を読み直してみようと」▶️ 神はわたしの歩む道を知る(2005年版)

(サイト記)3週間後の婦人会一泊研修会の案内が週報に掲載されている。
 講師に野本益世さん(元神戸教会員、当時賀茂教会員)、テーマは「『姉妹』ー教会と奉仕」。


ヨブ記 2:11-3:10、説教「存在の深み」

 ヨブ記を読むと、読み進むに連れて、思い出される人々がある。


 K牧師もその一人である。

 難産の末に生まれた双生児は、共に死に瀕していたという。

 医師も諦めたと思われた時、一人の看護婦が献身的に介護したこともあり、生命をとりとめた、が知的障害となった。

 牧師が「あの時なぜ、助けないで、そのままにしておいてくれなかったのか」という思いが一瞬心をよぎった、と語られたということを後で聞いた。

 そんな苦労を知らないまま、K牧師と並んで街を歩いた時のことが思い出される。

「岩井君は若いですね」とぽつりと彼は言った。

 K牧師は障害児教育のことを学ぶためにK教会を去り、一年の無牧の後、私はその教会に招かれ、事情を知った。

「若い」ということに込められた意味の深さを思い知らされたことは言うまでもない。

 そのK牧師が後々知り合った筋ジストロフィーの青年S君が、部屋中をころげまわり、床を叩いて自分の病気を呪い、「なぜ生まれてきたんだ。僕なんか生まれなかった方がよかったのに」と叫んだという。

 ヨブ記の文脈で思い出される人である。

 キリスト者として全うした23年余の生涯の初期の話だ。


 神学生だった頃の夏、留学中のY牧師の教会を夏期伝道で応援したことがある。

 あどけない3人の子供さんとも仲良くなった。後々中の女の子は18歳で自死した。


 M牧師は、牧師となって初めて、説教壇に立てず友人のO牧師の説教をうなだれて聞いた。

 その当時のことをこう書いている。

”はげしい苦難の中で、わたしは自分が今まで持っていると思っていた信仰が、何の役にも立たなくなってしまうことを経験する。わたし自身大きな精神的苦悶のすえ、おそれと不安に心の底までとらえられてしまった時、もうどうすることもできなかった。わたしには信仰があると思っている時が、一番危険な時であるかも知れない。わたしの信仰がいつでも問題を解決するのではなく、答は神からであることを知るのには、自らの窮状とその解決は自分のなかにはないということを知らねばならない……ヨブが神と出会うに至るまでに、まだ遠い道のりを歩かねばならぬ。”


 ヨブ記3章は、2章後半の沈黙を破って、ヨブの独白から始まる。

 苦難の中にある者が、自らの嘆きとうめきを「言葉化」していくところに、この章の訴えがある。

「この後(やがて)、ヨブは口を開き」(ヨブ記 3章1節)。


”この後、ヨブは口を開いて、自分の生まれた日をのろった。”(ヨブ記 3:1、口語訳)


 そこには暗さの中にも一条の光がある。

(1994年10月16日 神戸教会週報掲載 岩井健作記)


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