隠された労苦《Ⅱコリント 5:11-15》(1985 説教要旨・週報)

1985年2月10日、降誕節第7主日
(説教要旨は翌週週報に掲載)

(牧会27年、神戸教会牧師8年、健作さん51歳)

【教区の集会】
2.11「信教の自由を守る日」集会
日時:1985年2月11日(月)午後2時〜5時
会場:神戸学生青年センター
テーマ:「靖国神社問題」と教会
シンポジウム:指宿文一、岩井健作、菅沢邦明、森章一

【集会記録(1985年2月17日神戸教会週報)】
 1967年強行制定された「建国記念の日(旧・紀元節)」に対し、キリスト教会はこの2月11日を「信教の自由を守る日」として靖国神社国家護持反対を柱に集会を持ってきた。
 今年も「靖国神社問題と教会」というテーマの下、神戸学生青年センターに80余名(当教会より7名)が参加してシンポジウムが持たれた。
 指宿文一牧師は甲子園口地域で19年間続けている地道な活動を報告。
 岩井健作牧師は中谷訴訟支援活動より「イエスの死の意味」を一人ひとりに問うた。
 菅沢邦明牧師は「社会問題」として捉える教会の体質を問うた。
 中曽根首相の祝賀式典出席という新たな事態を前にして、見張りの役目としての責任を確認させる集会であった。


コリント人への第二の手紙 5:11-15、説教題「隠された労苦」岩井健作

 ”人々に説き勧める”(コリント人への第二の手紙 5:11、口語訳)


 今週も続けて第二コリント5章11〜15節を学びます(前週)。

 まず、この箇所の背景となっているパウロの置かれた様子を考えてみたいと思います。

 コリント教会は、エルサレム教会の権威に拠り頼む指導者の言説に動かされていました。

 彼らの宗教的実力は相当なもので、パウロが生前のイエスを知らず、エルサレム教会の直接の権威に拠らない伝道をしているということで、パウロを「自己推薦(5:12)」をする者だ、あるいは「気が狂っている(5:13)」と言って批難しました。

 パウロは孤立を味わっていたにも関わらず、「キリストのさばきの座(5:10)」に着く時、彼らの誤った指導は自分たちの力を頼みとする「力の支配」である故に審かれることを信じていました。

 ”このようにわたしたちは、主の恐るべきことを知っているので、人々に説き勧める。わたしたちのことは、神のみまえには明らかになっている。さらに、あなたがたの良心にも明らかになるようにと望む。わたしたちは、あなたがたに対して、またもや自己推薦をしようとするのではない。ただわたしたちを誇る機会を、あなたがたに持たせ、心を誇るのではなくうわべだけを誇る人に答えうるようにさせたいのである。もしわたしたちが、気が狂っているのなら、それは神のためであり、気が確かであるのなら、それはあなたがたのためである。”(コリント人への第二の手紙 5:11-13、口語訳)


 11節では「このようにわたしたちは、主の恐るべきこと(恐れは恐怖ではなく、畏敬)を知っているので、人々に説き勧める」と申します。

 「説き勧める」という言葉は、ガラテヤ書1章10節では「歓心を買おうとする」という悪い意味で使われていますから、これも論敵の言葉ですが、パウロはそれを逆手に取って積極行動に出ます。

 ”今わたしは、人に喜ばれようとしているのか、それとも、神に喜ばれようとしているのか。あるいは、人の歓心を買おうと努めているのか。もし、今もなお人の歓心を買おうとしているとすれば、わたしはキリストの僕(しもべ)ではあるまい。”(ガラテヤ人への手紙 1:10、口語訳)

 巻き込まれつつ巻き返す生き方です。

 そうせざるを得ないくらい、コリント教会の他の人々は主体性が無く、右顧左眄(うこさべん)したのだと思います。

 うわべ(ギリシア語で”顔”)だけを誇る人に、主を恐れる主体的心の有り様を誇るようにしっかりさせたいからです。

 キリストの十字架の死の意味をしっかりと誇り、その価値観によって生きるよう励まします。

 彼自身「気が狂っているのなら、それは神のためであり(5:13)」と言います。

 分別を持ってはいるが、結局自分本位の人たちへの批判です。

 第一コリント2章2節のパウロの言葉を思い起こします。

 ”なぜなら、わたしはイエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト以外のことは、あなたがたの間では何も知るまいと、決心したからである。”(コリント人への第一の手紙 2:2、口語訳)

 今日、私たちは「力の支配」とは別な「神を恐れる」考え方、「キリストの十字架」に示された価値観を、積極的に「説き勧める」ことが必要なのではないでしょうか。


 私は、このテキストを学ぶことと並行して、先週、新聞やテレビのニュースを聞いていました。

 それは、米国より帰国した、金大中(キム・テジュン)氏のことです。

 NHKのニュース解説者がさまざまな政治状況について語った後、「殉教をも辞さない決意がある」と語っていたことに心を打たれました。

 今、韓国は独裁政権が「力の論理」で支配する冬の季節です。

 そこに「キリストの十字架=殉教」の別な価値観を据えて行動する金大中氏という一人の政治家の生き方には、パウロと重ね合わせてみると「説き勧める」という生き方があります。

 その積極性の影には、同氏の苦難の日々と隠された労苦とがあります。

 (1985年2月10日 神戸教会 岩井健作)


1985年 説教・週報・等々
(神戸教会7〜8年目)

「コリント人への第二の手紙」講解説教
(1984-1985 全26回)

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