1975年10月5日 世界聖餐日
岩国教会週報「先週説教より」中学生参加礼拝
ガラテヤ 5:1、第一コリント6:19-20
(岩国教会牧師11年度、健作さん42歳)
自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって(コリント第一6:19)
中学生の皆さんと一緒に礼拝が守れて、大人の人たちはみんな喜んでいます。先週逝去されたTおばあさんがもし礼拝に出ていたら(Tさんはほんとうに礼拝を守り続けた方です)愛情あるまなざしで「いらっしゃーい」と言って皆さんに握手してくれたことでしょう。1888年(明治21年)生まれのTさんは、若き日にハワイでキリストの弟子になって、69年間も信仰の谷や山を通って教会生活を続けました。古い日本の因習の中で旧いものから脱していく勇気(当時、ハワイへの移民たちは、海外の自由を求めて海を渡りました)に、ちょうど植木の接木のように「神の導き」「神の召し」を繋がれたからこそ、87歳になってもいつも若々しい精神で生きられたのだと思います。旧い日本から脱して自由を求めて渡航した日本人移民は明治時代にたくさんおりましたが、そのうちの一人、新島襄(同志社大学創立者 1843-1890)は、後に文部省の役人に招かれましたが、それを断ってキリスト教による大学設立に専念しました。自由を求めるために「君はキリストの奴隷だ」と言われました。自由が、修行を積んで何事にも動揺しない心を持つことではなくて、キリストに従いその弟子・僕(しもべ =原語は”奴隷”)になることで実現されていくということに教えられます。キリストに召されていくところに、地位やお金や名誉のような力、死の力から自由にされる秘密が潜んでいるというのが聖書の教えです。自分のからだを自分のものだと考えさせてしまう力がいつも私たちには働いていますが、そこから「聖霊の宮」(6:19 、神が働きかけてくださるところ)だという考えに思い直す決心が大切ではないでしょうか。
(1975年9月28日 岩国教会 岩井健作)


