ゆるやかに流れる(1972)

1972年1月2日 新年聖日 岩国教会週報

(岩国教会牧師6年目、健作さん38歳)

この民はゆるやかに流れるシロアの水を捨てて(イザヤ8:5)

 イザヤ書8章は、シリア・エフライム軍来襲(シリア・エフライム戦争)当時(BC.734)のイザヤの預言の断片である。シロア(”送られた・導かれた”の意)の水は、ギボンの泉から平坦な水路をゆるやかに流れてきた。一見細々と見えて、これはエルサレム住民の生きるための水であった。故にユダヤ人にとっては、尽きざる神(ヤーウェ)の恵みの象徴であった。音もなく、ゆるやかに流れるこの水を捨てて、アッシリアの力に頼らんとした国民の非主体的な生き方をイザヤは激しく非難した。と同時に、9〜10節に於いては、大国アッシリアももはや大国というだけでは立ち行かないことを預言している。11〜15節では、陰謀に慄く国民を戒め、それに動じない弟子たちの道を示している。

 1972年は歴史の激動の最中に始まった。大国の権威は揺れ動き、全ての権威が流動に晒されている時代の中で、何か固定的な権威の上に自分を乗せて安心するのではなく、自分を自分であらしめる方との関係に於いて、自分を意志的に貫いていく生き方こそを求めていきたい。イザヤが示す信仰はそのことを示している。「シロアの泉」に象徴される主(ヤーウェ)の内に生きるイザヤの信仰に学びつつ、時代の変化に応答する柔軟な心をもって、この年を歩みたい。

(1972年1月2日 新年聖日週報 岩井健作)


BOX-1. 岩国教会所蔵史料

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