葬儀式辞(参考のための本人案)(2025)

2025年4月7日、新生会でのお別れの会
(エンディングノートに収められた文書の一つ)
画像は2020年、ひ孫くんの訪問

(2019年頃85歳頃の執筆か)


 私、岩井健作は、1933年8月1日生まれ、今年8月で(◯◯歳)でした。

 略歴を紹介します。

 同志社大学神学部大学院を1958年に卒業して、6つの日本基督教団(ひとつは単立)の教会で、牧師として働きました。

 広島流川(2年)、呉山手(5年)、岩国(13年)、神戸(24年)、川和(代務者2年)、単立明治学院(10年)、あわせて56年間の牧会、宣教の生活でした。

 結婚は1958年、卒業の年の8月1日に小林溢子と京都で式を挙げました。健作は5代目のクリスチャン、ルーツは安中教会の松井十蔵です。溢子は3代目のクリスチャン。

 私自身は牧会宣教の任務の半分以上は溢子の存在と働きに負ってきたと思っています。

 2015年、現役を隠退して、老人ホーム新生会に入居しましたので、教会籍を安中教会に移しました。

 私は多忙の傍ら3冊の著作を残しました。岩国で、ベトナム戦争当時の「反戦兵士」を扱ったもの『兵士である前に人間であれ』(2014)、神戸で経験した「阪神・淡路大震災」を扱った『地の基震い動く時』(1996, 2005)、最後に、有名な洋画家 小磯良平の聖書挿絵の解説を書いたもの『聖書の風景』(2018)。

 特に最初の『兵士である前に人間であれ』には編集者で友人である大倉一郎さんが岩井健作のコンパクトな優れた伝記を書いています。

 岩井健作の特徴を3つの言葉で表したら、「一筋」「気配り」「こまやか」ということになると思います。

 また私の人生で最も大きな出来事は、「溢子」と出会ったこと、そして共に過ごしたことであると思っています。

(岩井健作)





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