『「老い」の断章』ー本の紹介ー(1993 清鈴園)

1993.10.24 神戸教会週報 所収

(サイト記)当日礼拝説教「神の給わる隣人」の要旨ではなく、この週報に掲載されたのが本テキストである。説教は直筆14ページの原稿が残っている。読み取れないのでテキストデータ化は無理なため、画像で全部公開したいです。

 画像は蛯江(えびえ)ご夫妻と岩井ご夫妻、清鈴園を訪ねた際。

蛯江(えびえ)紀雄さんから自著をいただいた。『「老い」の断章ーそして老人ホームは今』。蛯江さんにはかつて神戸教会の秋期集会に来ていただいた(1980年)。

 日本基督教団が西中国教区を中心に広島に原爆狐老のねたきり老人の特別養護老人ホーム清鈴園を作ったとき、30歳の蛯江さんを園長に据えた。以来22年になる。蛯江さんは、かつて私が牧会の任にあった岩国教会のメンバーだから、初期のその働きがどんなにか彼にとって荷が重たいものであったかをひしひしと感じてきた、が今や広島県は言うに及ばず全国の老人福祉問題の重鎮である。

 この本は、蛯江さんが今まで書き溜めたものや、それに加えて、1992年8月から1993年5月まで、地元の「中国新聞」に連載した文章である。老いは年相応にしか語れない、と言われる。蛯江さんは、老人問題のエキスパートでありながら、将来自分が老いて、お年寄りの気持ちがわかるようになった、と言える時のため「一度、これまでの自分の思いを未熟なりにありのまま書いておく」と「恥ずかしいながら書き綴った次第」とどこまでも謙虚である。

 第1章は「老いを考える」。老いは準備して迎えるものだという。その訓練は、脇役となるその寂しさに耐えて生きることだという。こんな一文もある。「寝床につくとき、翌朝起きることを楽しみにしている人は幸福である」(ヒルティ)。

 第2章は「老いを支える」。テーマを挙げてみる。老人ホームは生き返りの場。お年寄りは不安と葛藤の中に生きている。瞬間、瞬間に一生懸命生きている痴呆性老人。雑事こそ大事な生活援助。制度枠を越えたサービス。この章で印象に残ったのは「まず、心身の安定の確保から」の一文。福祉サービスの質が向上して多様化個別化してくるのに、職員定数の抜本的改善は進まない、そして職員の労働時間短縮と要介護度の増大のジレンマが施設を襲うとき、基本的処遇に徹し、心身の安定を図れ、という主旨。これは、あれもこれもという生き方をしがちな我々への戒めでもある。さらに信仰生活への戒めでもないだろうか。

 第3章は「地域で生きる」。今や老人ホームは入所だけでは済まされない。地域を耕し、種を蒔く、男が変われば高齢社会は変わる、ボランティア活動を育てる、等々これからの課題が語られる。

 最後は、新聞を通して訴えた現在の老人福祉への提言、そして「老人福祉施設発展中期計画」などの資料が付いている。1993年10月発行。筒井書房。1600円。

 お求め下さると、蛯江さんへの励ましとなるでしょう。岩井までお申し出を。

(岩井記)

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