102条園からの発信 − 内と外へ −

神戸教会いずみ幼稚園、石井幼稚園園長 岩井健作、発表誌不明

 102条園についてお話しをする時には、「それって、何?」と、何もご存じない方もある事を、考慮して繰り返しお話し申し上げねばなりません。

 日本の幼児教育のシステムは、大きく、福祉が主眼の厚生省管轄の保育園と教育が主眼の文部省管轄の幼稚園とに別れています。21世紀に向けて幼児教育・保育の重要性が注目されている現在、このあたりから幼児教育のパラダイムは問われています。が、ここでは触れません。

 さて、幼稚園の方ですが、大きく国公立と私立に分かれます。私立は認可園と非(未)認可園に分かれます。この区別は、1947(昭和22)年制定の学校教育法によります。この法律は、それまで幼稚園令により、規制が緩やかで、この時代幼児は多く、経営の旨味をよい事にして非良心的な私立の幼児施設もあった事から、それらを学校法人化して規準を持たせ、幼児教育の質を保たせ、公的助成の筋道を開いた事では、歴史的役割を果たしている法律でした。

 しかし、この法律は、幼児そのものの立場から観ると、不充分さ、視点の欠落が多々ありました。けれども、「国家法」が出来ると、それに従い、靡き、有利にたち振る舞う、というのが日本の一般の精神風土ですから、この法律の第二条「……学校法人のみが」幼稚園を設置することが出来る、との条項に従って続々学校法人化が進められました。しかし、個人や宗教法人で古くから幼児教育に携わっていた施設には、小規模で、規準を満たせなかったり、財産を「設立新法人」に移す事が、いろいろな意味で困難だったりして、行政の精力的指導にも関わらず、学法化のすすまない部分が残りました。そこで法律の改正が1949(昭和24)年に行われ、「当分の間、学校法人によって設置されることを要しない」が第102条に、入りました。以後50年間、ここを根拠に運営されている幼稚園が「102条園」です。

 この50年間、同じ幼稚園仲間(102条から途中で学法化した園を含めて)も行政も「法の趣旨からは不本意」「やがては消滅する」「幼稚園運営の本筋ではない」幼稚園として、その存在は意識的あるいは無意識のうちに無視され続けられてきた、というのが、現状です。102条園も淘汰されてきたと存じます。その間、公私格差の観点から、公的助成は子供への助成であるべきだと就園奨励助成金制度などが設けられた事など、102条園もこの面では同じ扱いに入りました。現在も各都道府県のばらつきが大きいとしても、102条園の運動や理解者により、学法の何分の一かの助成は様々な名目で、少しづつですが拡大はしています。

 しかし、102条園を中心に幼児教育についての運動をつづけている私たちが、一番訴えたいことは、「幼児の視点」「子供の立場」という事です。この50年102条園が続いているのは、どんなに小さく、弱く、不完全でも、そこで育つように「招かれた」子供がいるからです。子供の存在が、保育者・設置者の情熱を引き出してきたのです。子供をみる視点は、多様です(観る、見る、診る、看る、監る、省る、覽る、等)。

 大事な事はその存在を、親も、保育者も、幼児教育関係者も、行政も、それぞれとの関係存在として、関係を持ち、対象化しない事だと、私は信じています。

 大人社会の都合に合わせて子供を考えない愚直な親、保育者・設置者が未だにいる事が、102条園が無くならないことの理由だと思っています。確かに、102条園は、日本の幼児教育界では、取るに足りない、片隅の、存在すら意識にのぼらない、マイノリティーです。保育所に子供を預けている、日本社会の子育ての主流の親から見れば、家庭に母親がいて子育てをしている幼稚園の親たちは、恵まれた階層に属していると考えられるでしょう。しかし、出来れば、乳児期、幼児期を温かい肌と心の母親と生活時間を長く過ごせればその方がよいと考えるのは、母の願いです。恵まれた環境にあるというだけではなくて、102条園を育んできたマイノリティーには、それを守ってきた気概が生きているように思えるのですが、言い過ぎでしょうか。もちろん102条園がみんなそうだというのではなく、子供をそのように捉えるマイノリティーの中に、102条園を引っ張ってきた人達もいた、と言うべきでしょう。私が述べたい事は、このようなマイノリティーから大切な事を聞き取ってほしい、という事です。

 兵庫県の102条園の多くは、「障害児」を含む統合保育に積極的に取り組んできています。統合保育の条件が整っているというのではなく、子供を障害・健常の区別ではなく、誰も彼も含めて「子供」として捉えているからでしょう。

 102条園の存在の意味を考える時、ある寓話を思い出します。王様が、功徳のあった家来に褒美として土地を与えるから、お前の欲しいだけの土地を囲んで見よ、と申します。彼は、棒の先で、王様の足下に、小さな円を描きました。「何だ、それだけでよいのか」「いや、この円の外を戴きとうございます」といって、王を絶句させたというお話しです。

 102条園からの発信は、このお話しではありませんが、102条という円で囲んだ外に向かっても発信しています。少子化時代に相当に耐える園運営の体質を持っています。無駄な事はとうの昔に止めて、ハングリー精神でやっています。小規模園(特に50人以下の園)でその特徴を活かしています。

 ニュージーランドの幼児施設は、公私立、幼保共に50人以下です(1998年冊子参照)。園バスで園児送迎をやっている園もあるでしょうが、むしろ使っていない園が多く、近くの地域に根ざしています。そうして、子供に対する「国」の関わりが、福祉と教育を一本化して、根本で一つの法律、一つの行政となり、保育形態、幼児施設を子供の多様性に即して認めつつ、助成は子供にとって公平に出されるようなシステム(平等というより、就園奨励費をさらに充実させるとか、子供の受けた保育時間数を基本に助成するとかいうような)に一歩でも近づくよう、地味であっても、息の長い運動を提示するのが外への発信です。内へはそれに耐える日々の保育を積み上げることを発信していきたいと存じます。

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