安中教会転入会者 歓迎会 挨拶草稿 ②(2016 安中教会)

2016.12.25(日)、安中教会転入会者 歓迎会
(歓迎会前日の12月24日に編集したものが出てきましたので追加します)

(サイト記:健作さんが編集したのは最後の「第三.宿題」の段落。宿題を語るのをやめて、岩国教会牧師時代の重要で具体的なエピソード「一粒の麦・己に死ぬ」に変更して、挨拶を締め括ったものと思われます)

 ◀️ こちらが最初のバージョン

 第三は、58年の牧師生活のエピソードを一つお話しして終わります。

 私が牧師になって10年位の時のことです。

 御年配の教会のご婦人から「先生、お話ししたい事があります」との事で、お訪ねしました。

「先生はお出来になる方だというので期待していたが、先生は駄目な牧師です」と単刀直入にいわれました。

「クリスチャン4世で牧師の息子さんであり同じような環境の奥さんがおられる。だから、日本の家族制度や封建遺制のしがらみがお分かりにならない。私などがどんなに苦しんでそこから抜け出る事が洗礼を受ける事であったかお分かりにならない」といわれました。

 私が今からその経験をする訳にはいかないので、何を言われているのかが、はじめ良く分からなかった。しかし、思い当たりました。

「一粒の麦は、地に落ちて(も)死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば多くの実を結ぶ。」(ヨハネ12:24)なのでした。

 牧師になった事は地に落ちたまでで、死んでいなかったのだ、という事に気が付きました。

「死ぬとは」どういう事か。神学的には分かっていました。

 イエスの十字架の死に結び合わされる事ぐらいは知っていました。

 それを牧会のなかで生きていなかった自分を省みてそれからを歩みました。

 牧師を育てる教会というものを感じました。忘れ得ない経験になりました。

 安中教会では信徒の一人として初心に帰って自分の信仰を全うしてゆきたいと思っています。よろしくお願い致します。

▶️ ”一粒の麦”(ヨハネ・おはこ ②)
▶️ “己に死ぬ”(マタイ・マルコ・ルカ おはこ ④)

主の慈しみ(2018 神戸教会・最後の説教)