安中教会転入会者 歓迎会 挨拶草稿(2016 安中教会)

2016.12.25(日)、安中教会転入会者 歓迎会

(日本基督教団教師、安中教会教会員、健作さん83歳)

はじめに

 この愛餐会で、イースター以後の転入会者歓迎会に該当するとの事で、ご挨拶の機会を与えられ感謝いたします。

 自己紹介は、すでに『安中教会便り』117号に記しました。その補いとして、3つの事を述べます。

1.信仰のルーツ・安中教会

 第一は、私の信仰のルーツは安中教会であるという事です。

 ここに『安中教会 初期農村信徒の生活 − 松井十蔵・たくの伝記』(松井七郎著)という本があります。

 松井十蔵は明治16年に安中教会で海老名弾正から洗礼を受けた小野村(現在は富岡市)相野田の信徒です。

 この本の56ページにこんな記事があります。

「両親(著者の両親:松井十蔵・たく、のこと)は一生涯熱心な信仰生活を全うしたが、その影響で曾孫の中から2人の牧師が出ている。一人は新藤きよの孫で現在 日本基督教団 神戸教会の牧師<岩井健作>であり、他は次女・半田そのの孫で現在 原市教会の牧師である<村田元>で、両氏共、組合教会派の若手牧師として活躍している」。

 約20数年前、1981年の著作です。

<サイト記>この記述によれば、松井十蔵夫妻が明治6年に海老名から洗礼を受けた安中教会「一代目」、曾孫の健作さんが「四代目」となるのだが、健作さんの記憶によれば「五代目」の可能性がある。

2.父の晩年・新島学園、父からの影響・社会的関心

 第二には、わたくしの父・岩井文男、母・まき江は、晩年の約20年を新島学園中・高校長(1961-1982)として過ごさせていただきました。

 その間、安中教会で教会生活をさせていただきました。安中教会納骨堂に納められています。多くの方に支えられたことを感謝いたします。

 私が、父岩井文男(両親)から受けた影響は計り知れませんが、私のキリスト教の社会的関心の芽生えは父にあると思います。

 昭和の初期、日本には「社会的キリスト教」運動が起こりました。

 教会は、魂の救いの事だけに集中していれば良いというのが、当時の教会の主流の正統派の考えでした。何よりも「教会形成」。真実の「教会」が形成される事が、教会の第一義的務めである。この考えは当然な考え方です。

 それに対して、社会の非人間的な事に対する戦いも共に教会の責任である事を述べたのが、昭和初期の「社会的キリスト教の運動」でした。その流れは戦後日本基督教団の中にも受け継がれ今日に至っています。

 安中教会には「柏木義円」の社会正義の歴史と伝統があります。安中教会に転会してそのような伝統を大切にし、学んでゆきたく思っています。

 私は教団の牧師のなかでは、いわゆる「社会派」といわれる働きをしてきました。が、その源流は、父文男なども影響を受けました、昭和初期の「社会的キリスト教」にあります。戦後「戦争責任告白(1967)」が行われ、日本基督教団の方向性にしたのは鈴木正久ですが、それらを担ったのは私などを含めた「若手教職」でした。

3.宿題

 第三は、残り少ない余生に、まだ宿題を幾つか遺してしまっています。何とかそれを果たしたいと思っています。

 こちらの原稿は12月19日のものですが、健作さんが24日に編集した(語られたのは25日)バージョンが見つかりましたので、編集した部分のみ追加しました。

▶️ 挨拶草稿 ② 編集した箇所

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