漁師を弟子にする

「現代社会に生きる聖書の言葉」
湘南とつかYMCA ”やさしく学ぶ聖書の集い”

第91回「新約聖書 マルコによる福音書を読む」②
マルコ 1章14節-20節

1、マルコ福音書が、「キリスト教の本質」を、「パウロの手紙のローマ書」のように教義として伝えようとしたのではなくて、「福音書文学」という物語で伝えようとした最初の試みであることは前回述べました。
その物語は、ある意味では「神の出来事」を語った物語という性格を持っています。そこには伝承に基づく、イエスの生涯・言説・振る舞いが記されていますが、それは決して、「伝記」ではありません。マタイ、ルカの後代の福音書は、マルコを下敷きにして書かれた福音書ですが、多少なりとも、 その物語に、伝記的要素を取り入れたので、誕生物語(マタイは東の国の博士たちの物語、ルカは羊飼いに天使が現れて、イエスの誕生を告げる、そして場所は預言書に依拠してベツレヘムといった要素、現代クリスマス劇となっている素材)を記していますし、少年時代のことなどについてルカは触れています。

しかし、最初の福音書マルコは一切それについては語りません。いきなり、イエスの「公生涯」の発端になった「バプテスマのヨハネの洗礼活動」から語り始めます(1:2-8) 。当時ユダヤ教には大きく三つの派閥がありました。パリサイ派(律法を重んじる)、サドカイ派(神殿中心に祭儀を重んじる)、エッセネ派(悔い改めの洗礼活動を重んじる)。イエスは、エッセネ派に魅力を感じ、その活動者バプテスマのヨハネの影響を受けたようです。彼から洗礼を受ける記事をマルコは、物語の最初に持ってきています(1:9-11)。続いては、40日間荒野でサタンの誘惑を受ける(1:12-13)記事(マタイでは長々と三つの誘惑の物語)。「ガリラヤで伝道を始める」(1:14-15)が続き、「4人の漁師を弟子にする」(1:14-20)が続きます。イエスの弟子の物語は「アルファイのレビを弟子にする」(2 :13-17)、「12人を選ぶ」(3:13-19)と他に二箇所にあります。

2、「4人の漁師を弟子にする物語」と言われる物語には、幾つかの特徴があります。

①普通、人間の師弟関係では、習う志を持った者が、「師」を選ぶものです。しかし、ここでは「師」にあたるイエスが「弟子」を選ぶのです。つまり、この世の習わしとは逆です。ここから、「召命」(Calling、Beruf)という言葉が出てきました。思想としては、旧約の「神の選び」の思想を受け継いでいます。「教会」の事をエクレシア(ギリシャ語)といいますがエク(…から)カレオー(呼び出される)という語源を持ちます。これも、本質的には「招かれた者」 の意味です。
「『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう』二人はすぐに網を捨てて従った」(1:17)。「すぐに」はマルコがよく使う用語です。従う者の決断以上に、強く働く「神の召命」を表しています。

②「漁師」が招かれたということ。当時の知識人やエリー卜ではありません。社会層からいうと「底辺」あるいは「生産」労働者です。魚を取ることは「三人称」の関係です。「人間をとる漁師」はユーモアを込めた言い方ですが、「二人称」の関係です(二人称の関係がもてない人は困った方です)。

③弟子集団は、イエスに従いますが、だれかが一番偉くて、あとはそれに従うという、閉ざされた、縦関係はありません。 普通、人間の集団的秩序では、階層、順位が問題になります。イエスの弟子集団は定型ではなくて不定形の集団です(市民運動などでも、不定形で長続きがする集団は珍しいものです。集団の目的に奉仕をする役割分担が自然にでき、固定化しない・不定形であるためには、その集団の構成メンバーが使命に目覚めていることが大事です)。12弟子(イスラエルの12氏族に因んで原始教会でできた役割) は、後の教会では「職制」に発展し、閉鎖集団になってしまいました。

④「召命」が「捨てる事」との表裏になっている。「網を捨てて従った」(1:18)、 「父ゼベダイを雇い人たちと一緒に船に残して」(1:20)。 二人称の関係は、いわば「命の関係」で、「三人称の関係」は「所有、お金の関係」と考えると、「所有の関係」からの解放、自由が、「イエスの弟子になる事」の基本である事が明確に言われています。

「捨てる」とは「所有の関係」からの解放です「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」(マタイ6:24、ルカ16:13)とはイエスの言葉である。脱原発は「命かお金か」の価値観の問題ですし、戦争か平和か、も価値観の問題です。イエスの弟子になる現代的意味があります。


マルコ福音書 1章14節-20節
ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。
イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。
イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。
二人はすぐに網を捨てて従った。

また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。