エレミヤの召命(2014 エレミヤ ②)

2014.9.17、湘南とつかYMCA “やさしく学ぶ聖書の集い”
「現代社会に生きる聖書の言葉」第82回、「旧約聖書 エレミヤ書を読む」②

(前明治学院教会牧師、牧師退任から半年、81歳)

エレミヤ書 1章4節-10節
「わたしはあなたを母の胎内に作る前からあなたを知っていた」(4節)

1.前回、旧約聖書は三部作だとお話ししました。律法(トーラー)、預言(ネビーム)、緒書(ケスビーム)です。

 律法は”時を越えた”「神の言葉」だと言われます。何時の時代にも聴かれるべき神の言葉です。預言は”時に向き合った”「神の言葉」です。その時代の状況に対して厳しく語られた「神の言葉」です。諸書は”時の中での”「神の言葉」です。文学は時代を含みつつもどの時代にも生かされます。

 預言者はその時代に神からの「召命」(Vocation, Calling, Beruf:使命を果たすべき神からの呼び掛け、神の呼び掛けと委託)を受けて立ち上がった人物です。

 彼はユダ王国の首都エルサレムから北西4キロ程の地、アナトテの祭司の子の出身でした。ここは祭司の町であり、この町の祭司たちはここからエルサレム神殿に通って「神仕え」をしたようです。

 アモスが農民出身、イザヤが貴族の出身であったのとはまた違っています。アモス、ホセア、イザヤの時代から120〜130年後です。預言文学は世界の宗教文書でも特異な遺産といわれています。

2.さて、エレミヤ書は、最初はエレミヤの「召命」から始ります。特徴ある物語です。

①「あなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた」(エレミヤ 1:5)
「……あなたを聖別し」「あなたを預言者として立てた」(1:5)

 エレミヤの存在、使命、役割は圧倒的に神との関係で規定されています。委託された「生」なのです。エレミヤの主体性は「応答としての主体性」だということです。

 船が海という状況との間で波を立てて、抵抗を持ちつつ進むように、時代状況を軋みを造りながら生きる「主体性」です。苦悩の予言者といわれる所以があります。聖書の価値観に生きることは、多かれ少なかれ、エレミヤのごとく、応答としての主体性を生きることであろうと思われます。

 単に信念が堅いとか、しっかりした考えを持つのとは違います。「私は若者にすぎません」という、謙遜すらここでは退けられます。この点「わたしがここにおります、わたしをお遣わしくだい」(6:8)と自信をもって応答したイザヤとは違います。

 エレミヤの召命はモーセに近いものです。

②「諸国民の預言者」(1:5)

 国際情勢を神の視野から見通す役目です。すでにアッシリアは滅び、バビロニアが勃興し、南にはエジプトが君臨する情勢のなかで「神の言葉」を語り告げる役目です。

③「わたしはあなたの口にわたしの言葉を授ける」(1:9)

 預言者は神の言葉を「預る」ものです。神の言葉は「真理・律法・言葉」といわれるように時代を越えた性格をもちます。他方、「語る」という行為は、歴史の中で、相手に通じる事柄に「肉化・具体化」することです。ここに「神と人間」との間に苦悩し、執り成しをする人格があります。

「わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせらるとき、あなたがたは幸いである。……預言者たちも、同じように迫害されたのである」(マタイ5:11-12)

 はイエスの山上の説教の言葉です。

 イエスも預言者の系譜にある人物でした。現代にも預言者の系譜に生きる人物は沢山います。キリスト者は多少なりとも預言者の系譜を継承しているのではないでしょうか。

 その意味で「預言者」を学ぶことは大事だと思います。

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