クリスマス・オルガン・コンサートのメッセージ(2013 クリスマス)

2013.12.1、明治学院教会クリスマス・オルガン・コンサート、
明治学院大学横浜キャンパスチャペル

(明治学院教会牧師、健作さん80歳)

 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。(ヨハネによる福音書 1:14、新共同訳)

クリスマスのメッセージが伝えられ、また受け取られるには3つの仕方があります。

 一つは「シンボル」とか「しるし」という仕方です。

 クリスマスツリーというシンボルを見てください。ドイツにキリスト教が伝わった時、樅の木の「緑」に命のシンボルを見て飾るようになったのです。クリスマスの星は永遠の命のシンボルです。サンタクロースは聖ニコラスが貧しい子どもたちに夢を持たせるために贈り物をしたことに始まります。聖書のイエスが「神の国は子どもたちのもの」と言ったことを象徴しているのでしょう。クリスマス・キャンドルは身を削って人々に光を与えたイエスの象徴でしょう。象徴やシンボルは感性で受けとめるものです。

 第二は、芸術を通した表現です。

 音楽家ヘンデルは作品「メサイヤ」を通してクリスマスのメッセージを伝えました。バッハは壮大な「クリスマス・オラトリオ」を作りました。

 短編小説家オー・ヘンリーは有名な「賢者の贈り物」という作品を書きました。

 若い貧しい夫婦のジムとデラはクリスマスが来たというのにそれぞれ贈り物をするお金がありませんでした。デラは夫ジムがおじいさんの代から受け継いで大切にしている金の時計の鎖を買うために自分の素晴らしい金髪を20ドルで売って金時計に相応しいプラチナの鎖を買いました。ジムは金の時計を売ってデラの金髪に相応しいべっ甲の櫛を買いました。クリスマスイブの夜二人はお互いの贈り物を開き驚きました。一見愚かな贈り物は二人の愛の確かな贈り物であったのです。作者はイエスに贈り物を捧げた東の国の博士たちの贈り物になぞらえて「賢者の贈り物」を表現しているのです。先ほど歌った「馬槽(まぶね)のなかに」という讃美歌もクリスマスのメッセージを盛り込んだ歌詞です。讃美歌として応募された由木康の詩があまりに美しいので、委員をしていた明治学院の音楽教師・阿倍正義は自分の最も大切にしていた作品の曲をこれに贈ったと言われています。日本では本当に親しまれている讃美歌です。芸術によるクリスマス・メッセージは心を豊かにします。

 第三は、クリスマスメッセージを論理、つまり哲学や神学の表現で言い表わすやり方です。

 今日プログラムに印刷されている聖書の言葉は、論理でクリスマスのメッセージを送ります。

「言葉が肉となって、私たちのうちに宿られた(ヨハネ 1:14)」

 短い言葉ですが、ここにクリスマスのメッセージの肝心な事は全部含まれています。言葉というものは便利であるようでいて怖いもので、説明を付ければ付ける程、解釈が複雑になって、人が分断されるものです。

 肉体というのは、感性とか感覚とか、感じるものですから、人をつなぐものです。「言葉が肉体となった」ということを、私なりに受け取ると、自己中心(つまりジコチュー)がぶち壊されて、人は感性や感情で繋がる恵みに与ることが出来るということです。

 この話をしたら、ある方が、NHKの大河ドラマ「八重の桜」のある場面を思い出したと話してくれました。新島襄の同志社英学校に、熊本からキャプテン・ジェーンズに育てられた、激しい青年たちが転校してきます。同志社英学校のレベルの低さをなじります。

 1年・2年の合併授業にストライキまでします。新島襄はこの後始末のために自分の腕を鞭で叩きます。八重は黙ってその生意気な青年たち一人一人に暖かい丹前を縫って、贈ります。

「言葉の厳しい青年たちは、黙って、同志社に馴染んでいったという場面がとても印象的だった。言葉が肉体となるとはこういうことですよね」と言われました。

 そうなんです。言葉よりも、まず愛が、というのがクリスマスのメッセージです。

 祈ります。

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