あなたがたの手で

「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」

これは有名なヒロシマの原爆 死没者慰霊碑に刻まれた言葉です。私は54年前、この言葉の前に、初めて立った時の違和感を忘れることができません。この碑文には、主語がありません。誰が過ちを繰り返さ ないというのか責任の所在があいまいです。広島市は犠牲者にたいして残ったものが核兵器を許さない決意を示したものだと、コメントしています。しかし、その責任を誰がとったというのでしょうか。自分に引き寄せて、あの過ちに本当に責任が取れるのか、を思う時、ただ自らの無力を思わざるを得ません。もし、日本人皆が、責任を取っていたら、第3の原爆といわれるフクシマの放射能被曝の悲劇は起こっていなかったかも知れません。 犠牲者は安らかに眠ってはいないのです。

私は、太平洋戦争時、小学生でした、あの戦争の遂行者の位置にいた者ではありません。 でも、戦後、その過去の戦争への罪責の思いを自分なりに持ち続けました。私なりに、戦争責任の明確化と表明、核廃絶、ベトナム戦争はじめその都度の戦争への反戦平和の運動、 米軍基地撤去、沖縄への連帯、憲法実現の運動の末端に関わってきました。その時、励まされてきたのは、福音書の中にあるイエスの言葉です。その一部を今日読んでいただきました。多くの「飼い主のいない羊のような有様の群衆」がイエスの周りに集まってきました。夕方になり、食料がありません。弟子達が心配し、解散をさせましょうと提案します。しかし、イエスは「あなたがの手で食物をやりなさい」

「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」 

マルコ 6章37節、マタイ 14章10節、ルカ 9章13節


と命じます。弟子達の力では到底不可能なことです。しかし、イエスは「パンが幾つあるか見てきなさい」 と言われます。弟子達は確かめました。「パンが五つ、魚が二匹」ありました。イエスは、その五つのパンと二匹の魚を、祝福して分配して、5千人の人を食べさせる奇跡を行なわれました。 状況に対して自分にできる責任を取る、手持ちのものを捧げる。後は神に委ねるというお話です。

平和の実現にたいして、自分の手持ちの責任を、確かめてささげる時、神はそれを用いて大きな力とされる。これは私の支えでした。

私は、この春3月25日、青山学院キャンパスで行なわれた「斎藤和明先生・永瀬隆氏 追悼記念会」に関田寛雄先生のお招きで参加せていただきました。「永瀬隆さんと青山学院」と題した、雨宮剛先生執筆の一文に出会いました。

永瀬さんがあの戦時中の日本軍のタイにおける残虐行為への戦争責任を、ご自分のできる限りの責任を尽くして生涯にわたって取り組まれたこと、戦争は天皇の責任であることに言及されている事を読ませて戴きました。1995年以来、雨宮先生、そして今は亡き、斎藤先生、永瀬さんのお三人の発起により、この「英連邦戦没捕虜追悼礼拝」は始められました。それが戦争への責任の取り方の一つであった事を心に深く刻み続けています。

今、この墓地に眠る、英連邦初め、各国の若い青年の方々に、「安らかにお眠りください」 というためにも、私たちは、戦争に否をいう勇気をはっきりと持ちたいと思います。 戦争を容認する国家、経済、政治、文化、社会、企業、そしてメディアなどの在り方には NOを言ってゆく勇気を持ちたいと思います。そして「あなたがたの手で」という招きに応えたいと存じます。お祈りをささげます。

第18回英連邦戦没捕虜追悼礼拝   2012/8/4 (土) 追悼の辞
於横浜市保土ヶ谷区狩場  英連邦戦死者墓地
マルコによる福音書  6 章35節-37節(口語訳)

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