神の痛みに与る(2012 礼拝説教・ヨハネの手紙一 ⑨)

2012.7.22、明治学院教会(280)聖霊降臨節 ⑨

(単立明治学院教会牧師7年目、健作さん78歳)

エレミヤ 31:10-14、ヨハネの手紙一 4:7-12

いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神がわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。(ヨハネの手紙一 4:12、新共同訳)

1.ごめんなさい。

 ちょっと難しい表現になってしまうのですが、この箇所(ヨハネの手紙一 4:7-12)をまとめさせていただきます。

 この箇所は4章1節〜6節との対比で読む必要があります。

 イエス・キリストが肉となって生まれた来られたということを公に言い表す霊は、すべて神から出たものです。……イエスのことを公に言い表さない霊はすべて、神から出ていません。(ヨハネの手紙 4:2-3、新共同訳)

 ここには、キリスト(メシア・救い主)理解の違いが示されています。

 歴史のイエスの生涯と業に神の啓示を見ようとしないで、グノーシス(特別な宗教的認識)にキリストを見ようとする「偽預言者」(4:1)への反駁が文脈にあります。

「グノーシス」者の救済観は、特別な「知」に収斂されて、人間や歴史や倫理との関係なしで「宗教的救い」が認識されるというのです。

 平たく言えば、兄弟も隣人も「敵」さえも、どうでも良いのです。

 それに対して、イエスに神を見る見方は、「愛」が必要なのです。

 これが今日の箇所「ヨハネの手紙一 4:7-12」です。

 愛することのない者は神を知りません。(ヨハネの手紙一 4:8、新共同訳)

 の如く、交わりに身を置くことなくしては救いの体得・会得・習得はないのです。

2.この箇所には大事な2点があります。

(1)「愛は神から」(4:7)

 愛の根拠は神にあって、人間の内からは出てこないということです。このことを徹底し、筋を通すために「独り子の派遣」「罪を償ういけにえ」(それぞれ9節、10節)の思想を挿入付加したのは後代の教会だと言われています。

「神から」の「から」起源と本質とを特徴づけています。

「啓示宗教」の根幹、聖書の信仰の基本です。

 その「神から」を「イエス」に集中するのがヨハネです。

(2)「愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり」(4:12)

 神は徹底して、人間の外なるものであるにもかかわらず、「内にとどまる」という逆説が語られます。

 ここでは、ヨハネが主張する「神関係(信仰)と人間関係(倫理・愛)は切り離せない」という大きな構造があります。

「ヨハネの手紙」を学ぶ大事な点です。

 たとえ、ヨハネの愛は、「イエスの愛敵」と違って「壁の中の愛」だという批判があったとしても。

3.さて、次に人間、つまり我々の次元の問題です。

 ヨハネは「愛し合うべき」(4:11)だとも「愛し合うならば」(4:12)とも言っています。

「べき」は努力目標です。

「ならば」は可能性を秘めた促しです。

 いずれにせよ、我々が「愛の主体」になりうることが肯定されています。ここは大事なところです。

 愛は「独り子の派遣」という神の痛みの出来事ですが、それに与ることが、認められているのです。

 他者を生かす小さな愛(関わり、痛み、労苦)でも、それは「神がわたしたちの内にとどまってくださ(4:12)」る徴であることを、私は「救い」とし、喜びといたします。

神は愛なり」(4:8)(定義ではなく、働きの意味)

わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛した」(4:10)

 など、名句の多いこの箇所を身につけたいと存じます。

「神の痛みに与る」具体例のお話は、皆様がお聞かせください。

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