宗教的なるもの(2012 望楼34)

2012.7.19 キリスト新聞「望楼」記事原稿(望楼掲載日は不明)

(明治学院教会牧師、健作さん78歳)

 東京バッハ合唱団といえば「日本語でバッハを」と学生時代から翻訳と指揮を続けてきた大村恵美子さんの顔が浮かぶ。600号の「会報」に「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」の一文を記している。その「友」の一人、畏友の85歳の笠原芳光氏が50年を記念した7月8日のアルカディア市ヶ谷での記念懇親会で講演をした。

 笠原氏は赤岩栄牧師のキリスト教止揚の思想の深い継承者として知られる。その日は『逆説とは何か ー 宗教よりも宗教的なるもの』と題して、太宰治の文学に添って語った。

「宗教」は教義・儀礼・組織をもつ、「宗教的なるもの」はより根源的な「逆説としての宗教性」である。太宰は「桜桃」で、詩編121編の最初の一句「われ山にむかひて、目を挙ぐ」をのみ引用する。続く哲学的な「わが扶助はいづこよりきたるや」も、神学的な「わが扶助は……ヱホバよりきたる」をも語らない。太宰は文学のみで「宗教的なるもの」を示唆すると。この指摘には同氏の宗教思想家としての語らいがある。

「私は、どんな宗教組織も、どんな政治組織も信用しないアナーキスト風人間で」(前出会報)と自らを語る大村さんの共鳴が伺える。バッハ演奏家の隠された一面を知らされた。(健)

(サイト記)本テキストは「望楼」用原稿ですが、「キリスト新聞」に掲載された印刷物は未確認です。「望楼」欄の連載終了後に執筆された未発表の原稿かもしれません。