今、沖縄を想う。

「本土の人間に沖縄を語る言葉があるのだろうか」。
作家大城立裕氏の問いかけだったように思う。その棘を覚えつつあえて語るとすれば、その言葉の内省はほんとうに深くなければならない。

 知念ウシ氏も沖縄人の「精神の植民地化」を憂いた後、「それよりも『日本人の精神の占領』のほうがもっと深刻なのではないか」(『ウシが行く植民地主義を探検し、私を探す旅』2010年 沖縄タイムス社)と問う。

 普天間の辺野古移設を「日米合意」の路線に従い、強引に進める現日本政権の政治手法は、まさになりふり構わない、「米政権・日本出張所」と言いたくなるような米国一辺倒である。その体質は、防衛省の役人の「犯す」発言、地方自治の選挙に局長が「講話」をもっての介入。さらには、仲井真知事が3000億円の一括地方交付金を要求して、国が、この大幅な増額をあっさり認めた背景にある、国の懐柔策とも密約の疑念とも言われるものに影を落としている。金権による民意干渉事例は跡を絶たないが、憤りと共に深い憂いを覚える。
現地沖縄の怒りと哀しみは想像を絶する。

 新基地建設の環境影響評価(環境アセスメント)書では、普天間代替新基地に垂直離着陸機MV22オスプレイ配備の明記がなされている。この強硬態度の背景にはアメリカの新国防戦略がある。イラク・アフガニスタンからの軍事力を撤退し、東アジアでの中国への対抗戦略を構築することへの変更である。そこには日本の自衛隊の戦略的組み込みが含まれている。2010年12月発表の防衛省の「防衛(計画)大綱」には南西諸島の防衛強化が打ち出され、石垣、宮古、八重山への自衛隊配備がなされている。それと連動するように石垣市と与名国町の「つくる会」系の育鴫社版公民教科書の採択が行われた。しかし『沖縄タイムス』の世論調査では6割は「つくる会」教科書に反対だという。普天間の「県内移設反対」決議は県議会はもとより殆どの市町村自治体議会で行われた。これは2010年のあの9万人の「4・25県民大会」の県民の意志表示以後の動かし難い沖縄の心である。

 この心への本土民衆の呼応の希薄な事は、首都圏での沖縄の闘いの集会に出ていて咋年は身体で感じてきた。本土マスメディアの冷淡さには憤りを覚えた事がいく度あったであろうか。そうして、いつも覚えるのが沖縄への重い罪責感である。近・現代日本の沖縄との関係史を省みればその事は当然であるが、自覚的に負い続ける事が我々「本土」の人間の責務なのである。このことは、日本基督教団が取り組み、近時教団の主流があえて放棄した「合同のとらえなおし」の底流をなしている事柄である。そうしてそれは、3・1 1 、今回の原発事故では過疎地に「国策・国益と称する出来事」を押し付けた事が明らかになったように、「フクシマ」と「オキナワ」はつながっている。

 日本基督教団沖縄教区は、「沖縄にある望ましい将来教会のあり方」をまとめた。その鍵語(キーワード)を「沖縄」に置いた。 地域社会と歴史に関わる宣教姿勢は鮮明である。
 本土の教会は、「琉球処分」「沖縄戦」「米軍統治」「74%の米軍基地」「格差社会」などの歴史と現実を学び、闘いの戦列に、それぞれの本土の課題を通じて繋がる事を心がけてゆきたい。

 それにしても「基地」の根拠である「日米安全保障条約」を破棄して、「日米平和友好条約」へと転換させなければ根本的解決はない。
「憲法9条」の実現と表裏である。

世話人代表:岩井健作  2012年2月3日

沖縄から米軍基地撤去を求め、教団「合同のとらえなおし」をすすめる連絡会
「求め、すすめる通信」第15号  2012年3月21日発行 所収