青春の日々にこそ、まず、お前の創造主に心を留めよ。−YMCAの働き (2010 コヘレト ④)

2010.11.17、湘南とつかYMCA “やさしく学ぶ聖書の集い”
「現代社会に生きる聖書の言葉」第4回、「旧約聖書コヘレトの言葉から ④

(明治学院教会牧師 健作さん77歳)

コヘレトの言葉 12章1節

青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。(新共同訳)

1.ここに出てくる「創造主」とは、どういう考え方を表現しているのであろうか。

「創造」は、世界の起源について、その由来を一般的に語るものではない。旧約聖書の個性ある信仰の一面を示す用語である。そこで示されている信仰の特徴は、世界(自然および人間)を創造者と被造者との関係で捉える信仰(考え方)である。その関係の特徴は、創造者と被造者とは絶対的な隔絶の関係にあり、創造者は人格的意志をもつという信仰である。

 この信仰は、イスラエル民族が自らを「ヤハウェ(主)の民」という信仰の告白によって継承されてきている。この信仰は旧約聖書の根幹を形造る信仰である。

 創造というと、私たちはすぐ、創世記の初めの天地創造の物語を思い浮かべるが、あの物語は「バビロニヤ神話」の枠を用いて「創造の信仰」を物語として、民族のバビロニア捕囚後にイスラエルの神学者たちが語ったものである。

2.旧約の研究者はこの「創造者への信仰」はそれが信仰箇条として単独に形造られたものではなく、イスラエル民族が、自分の民族の歴史をどのように捉えるかとの関連で形造られたという。

 エジプトの圧制を奴隷の民族として経験したイスラエルは、そこからの脱出(出エジプト)を、モーセに率いられつつ、神の救済(出エジプト20:2)の出来事として「信仰の中核」と据えた。

 その後の荒れ野の40年の放浪を経てカナンの地に侵入した時、直面させられた彼らの危機は、カナンの自然宗教の考え方との戦いであった。

 自然宗教は、生産と豊穣の価値観であった。いわば、富と所有の考えである。この価値観は、所有が人間の序列に反映されるゆえに(貧富の格差の是認)「ヤハウェの民」の共同性を破壊する力として迫ってきた。

 このカナン宗教との戦いが、旧約では預言者の活動であった。それは、絶えずエジプトから民族を「導き出した救済の神」への立ち返りとして、戦われた。そのなかで世界(自然と人間)は共に神の創造によるという信仰が養われた。創造というと過去のことのように捉えがちだが、そうではなく常に新しく造られてゆくという信仰として伝えられてきた。

 申命記26章にはイスラエルの古い「信仰の告白」が記されているが「主が与えられた地の実りの初物」(申命記26:10)を捧げる信仰が語られている。ここは「生産と所有を礼賛する自然信仰」とは決定的に異なることである。「与えられる」ということの理解の「被造性」の自覚と信仰が表されている。

3.新約聖書にもこの創造信仰は受け継がれている。

 イエスは「天地の主」(マタイ11:25)とし、神を「創造者」として旧約を引用する(マタイ19:4、マルコ10:6)。

 パウロは創造を「キリスト論的」に繋げ「キリストにあって新しくつくられる」(Ⅱコリ5:17、ガラ6:15)と、「造られる」の意味を「肉(自己中心、罪)の死」からの脱却(和解)による新しい現実(創造)と理解する。

 新しい現実は、人間を関係性(愛と正義)において捉えることに、命を見る。いずれにせよ、旧約の「創造」がら受け継がれたものを、信仰の中心に据えている。

4.さて、YMCAの働きの根本にあるものは何か。

・パリ基準「イエス・キリストを聖書にしたがってわが神わが救い主と仰ぎ、信仰をその生活において彼の弟子でありたいと願う青年たちを一つにし、……その努力を結集する」(1973年)

・カンパラ原則「1. すべての人びとに、平等な機会を正義が実現するように努力する。2. 人びとの間に愛と理解にみちた人間関係が可能になるような環境を創り出し、それを守っていく努力をする」

 などに見られるように、基本が「人間の関係性」を前提にした活動である。「関係性」の自覚の基本に、聖書は「人間は神に造られたもの」「人間の被造性」の認識をも持つ。

 YMCAはこの「関係性」を論理としてではなく、実際の様々な活動を通じて、体験し、理解し、実践していく、運動である。

 その意味で、「青春の日々にこそ、お前の(一般論ではなく、自分自身の生存の問題として、その方の前では、自分を相対化することでしか存在し得ない)創造者を心に留める」ことは、YMCAの働きに通じる。

5.『横浜YMCA百二十五年史』をそんな視点でよむと、その働きはなかなか彫りの深いものとなろう。

 大江浩が経験しまた指摘する「三つのT」(Tear, Talk, Time、涙を流し、語りかけを通して分かりあい、時間をかけて癒すこと)などは、「創造主」への信仰から生まれ出たものであろう(『横浜YMCA百二十五年史』、p.129)。

聖書の集いインデックス

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