ステファノの顔の輝き(2010 礼拝説教・使徒言行録)

2010.6.13、明治学院教会(194)聖霊降臨節 ④

(単立明治学院教会牧師5年目、牧会51年目、健作さん76歳)

使徒言行録 6:8-15

”最高法院の席に着いていた者は皆、ステファノに注目したが、その顔はさながら天使の顔のように見えた。”(使徒言行録 6:15、新共同訳)

1.電車に飛び乗ってきた中年女性の顔はキツく怖かった。しかし、出会うべき人がやってきた。こんなにも表情が変わるのかと驚くほどにこやかな笑顔になった。顔は関係の中で輝く。しかし、敵意に囲まれてなお顔が輝くとはどういうことだろうか。

”「使徒行録」には重要な事件があらわれる。……キリストの最も純粋な信奉者ステファノの凛然とした死がある。「かくて議会に列座せる人、一同目を注ぎてステファノを見れば、その顔あたかも天使のごとくなりき」という書き方が、私には興味があった。ルカ自身が見たのではなくて、議員たちの目に映った様子をルカが書いているわけだ。”

 随筆『使徒行録』にある、キリスト者の小説家・小川国夫の文章である。

「議員の目に映った輝き」に注目したい。

 ステファノの面は神に向けられていた、それゆえ顔は輝いていた。顔はたとえ人間の敵意に囲まれていても、神との関係で輝く。

 神に向けられた顔は人々の目に輝いて映る。

2.ギリシア語を話すユダヤ人は、外国の生活を終え、晩年エルサレムに帰還し、ユダヤ律法よりも普遍性のあるイエスの教え(知恵)に魅力を感じ、初代教会の構成メンバーになった人達だった。

 貧しい人達で教会では援助を受けていた。

 この人達に仕えた指導者がステファノであった。

 迫害したのは、同じギリシア語を話すユダヤ人であったが、巨大な神殿経済に依存して生活している比較的裕福な人達であった。その生活基盤を壊しかねないステファノたちの思想への敵意が迫害になった。

3.初代教会への迫害は、基本的にはユダヤ教からの攻撃であった。

 律法を破壊するイエスに対する敵意の基本線の上にあった。

 しかし、同じキリスト者でも、ユダヤ人キリスト者は迫害されなかった。

 それは「習慣(割礼、6:14)」を変えなかったからである。

 ステファノたちはそれを「変えるだろう」と恐れられ、予防拘束のように、誹謗・扇動・偽証言によって迫害された。

 貧しいヘレニストには守るべき所有はなかった。だから自由であった。迫害した人達は、神殿という既成社会を守らねばならなかった。

4.ステファノ逮捕の記事は、イエスが逮捕される時のマルコの記事とよく似ている。

「そそのかして」「モーセと神を冒涜するのを聞いた」「民衆、長老たち、律法学者たちを扇動して」「最高法院に引いて行った」「そして偽証人を立てて」「聖なる場所と律法を汚して」「モーセが我々に伝えた慣習を変える」

”そこで、彼らは人々を唆(そそのか)して、「わたしたちは、あの男がモーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた」と言わせた。また、民衆、長老たち、律法学者たちを扇動して、ステファノを襲って捕らえ、最高法院に引いて行った。そして、偽証人を立てて、次のように訴えさせた。「この男は、この聖なる場所と律法をけなして、一向にやめようとしません。わたしたちは、彼がこう言っているのを聞いています。『あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう。』」”(使徒言行録 6:11-14、新共同訳)

 告発内容は、イエスの律法理解・神殿批判を内実として継承していることへの怒りであった。

 だが、「知恵と”霊”によって語るので、歯が立たなかった」(6:10)。

 律法の論理ではなく、イエスの譬えにあるような「知恵」の普遍性や「神との関係性(霊)」が殺意を上回る「いのち」を表していた。

 顔の輝きというものは、付け焼き刃では出てこない。

 常日頃、星を見るように、神(イエス)との関係存在で遠くを見つめて生きていれば、知らないうちに自ずと養われるものであろう。



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