2010年1月3日、降誕節第2主日、
明治学院教会(178)新年礼拝
(阪神淡路大震災から15年、
明治学院教会牧師5年目、牧会51年目、健作さん76歳)
エフェソの信徒への手紙 1:3-14
”主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。”(エフェソの信徒への手紙 1:3、新共同訳)
1.明治学院教会は歌う教会であれ、とのメッセージを2010年冒頭に聴きたい。
この教会は、礼拝に6種類の讃美歌集を使っている。
『讃美歌21』『讃美歌・讃美歌第二編・ともにうたおう』『こどもさんびか』(青・改訂版)2種。
多様さは讃美の豊かさの現れであろう。
使用の中心は『讃美歌21』である。
それは「まえがき」の「なぜ、いま改訂なのか」によく記されている。目を留めたい。
2.「教会」はその成立の最初から歌う共同体であった。
その源流は、旧約聖書の詩編にある。
詩編は、祈祷書・礼拝書、また讃美歌集である。
救いへの鮮烈な驚き、感謝、感動を「新しい歌を主に向かって歌え」(詩編96、98、104)と表現した。
イスラエル民族は、バビロン捕囚後、故国から散らされた民として、苦難を味わった経験を、歌声をあげることによって、乗り越え、救いの経験として深化させた。
これを「新しい歌」と表現したのだという。
その都度、神から与えられる歌なのである。
それゆえ「讃美歌」は不思議な力を持つ。
人生の苦難を讃美歌を歌って乗り越えた、というエピソードはたくさんある。
例えばO夫人の経験。阪神淡路大震災の時の関西学院の聖歌隊の経験(「礼拝と音楽」所載)。
讃美歌は、また日本の文化に深く関わる。
3.「信仰」が「招き」と「応答」という構造を持つことに呼応して、「讃美歌」は「礼拝の歌」と「宣教の歌」の構造を持つ。
(同様の例:今年度の宣教方針「集められた教会」と「散らされた教会」)
「讃美歌21」も7項目のうち、1〜4は「礼拝」を、6と7は「生活」をテーマとしている。
5(教会)はその2つを繋ぐ。
「礼拝の歌」が580曲中398曲あるが、ここにこの歌集が「礼拝の歌」に主力を置き、「生活の歌」が続くという、構造と性格を持つことが示されている。
4.エフェソの信徒への手紙は、初代の教会が少し整ってきて(よくも悪くも)、礼拝式が重視され、そこで朗読された文書という性格を持っている。
神への讃美・感謝・祈り・信仰告白などが整った形で綴られている。
1章から3章はたいへん荘重な「教え」の文書、後半4章以下は、信仰生活への勧めである。
ここにはごく初期の讃美歌がある。
”「眠りについている者、起きよ。死者の中から立ち上がれ。そうすれば、キリストはあなたを照らされる。」”(エフェソ 5:14、新共同訳)
今日、朗読されたエフェソ 1章3-14節は「父・御子・聖霊の神」をほめたたえる構造である。
3節「讃美せよ(”エウロゲートス”)」で始まり、6節・12節・14節に「栄光をたたえる(”エパイノン ドクセース”)」という繰り返しが続く。
これはユダヤ教の告白定式に、キリスト・御子の称号(12回)を入れたものである。
”それは、以前からキリストに希望を置いていたわたしたちが、神の栄光をたたえるためです。”(エフェソ 1:12、新共同訳)
「歌と希望」の相関関係が述べられている。
5.マルティン・ルーサー・キング牧師の説教「真夜中に戸をたたく」には、歌と希望の関係が語られている。
奴隷の先祖たちが残したいくつかの黒人霊歌(ニグロ・スピリチュアル)が、どんなに希望であるかが語られている。
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