小磯良平の”聖書挿絵”を通して聖書を読む(2014 宣教学 60)

2009.11.5、西宮公同教会、関西神学塾、「岩井健作」の宣教学(60)

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 日本聖書協会から2008年『聖書 新共同訳 小磯良平聖画入り』が「1000部限定」で復刊された。前回の出版は1991年であるから17年ぶりである。

 表紙裏の記録では「絵画収録・笠間日動美術館、聖画撮影・タケミアートフォトス、本文・三省堂印刷、聖画・開成印刷、製本・星共社」とある。前回の聖画印刷は平版印刷とあり、異なる。

「聖画入り」の初版は口語訳で1980年であり、印刷所は記載されていないが、初版が、赤・青・黄(茶)、共に鮮明で断然よい。今回のものは1991年版に比べても色の鮮明度が低い。

 口語訳初版は、挿絵が該当聖書箇所に挿入されていて、本来の「挿絵聖書」になっているが、新共同訳は一括32葉が「画集」のごとく巻頭にまとめて収録されている。製本のコストを考えればやむを得ないことであろう。

 いわゆる「絵本聖書」や「絵入り聖書物語」は数多くある。しかし、その多くは説明的絵画であり、それ自身が独立して芸術作品に値するものは少ない。小磯の作品は、彼の画業の重要な部分として歴史に残る作品である。『口語聖書 聖画集』(1972年12月6日発売、原画の原寸大忠実複製、32葉、発行日本聖書協会)がそれを示している。因みに原画32葉は小磯自身により1980年、笠間日動美術館に寄贈され保存されている。

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 神戸市立小磯記念美術館は「特別展 小磯良平聖書さしえ展」を2008年4月11日から5月25日まで実施した(後援・NHK神戸放送局、協力・[財]日動美術財団、[財]日本聖書協会)。

 同時に『図録』を主催者の小磯記念美術館、笠間日動美術館で発行した。A4版、60頁。聖書挿絵原画のみで単独に展覧会が開かれたのは初めてであり、主催者は一群の「聖書挿絵作品」を小磯の画業の独立した部分として今までになく高く評価したものといえよう。

「あいさつ」で「イメ-ジによる描写ではありますが、的確な構成とデッサンにより、聖書の世界を私たちの眼前にあざやかに再現してくれています。この仕事に関して、構想を練るのに半年、描くのに半年をかけた、と語っておられますが、その壮大な世界を描くために、相当な準備とイマジネーションが必要だったはずです。そのことは、一つの場面につき複数のこされた下絵の存在からも推察することができます」と述べられている。

 図録には同美術館学芸員・辻智美氏の「小磯良平と聖書挿絵」の5ページにわたる論考が収録されている。小磯はすでにこの時点までに幾多の新聞挿絵画家であった。それゆえその豊富な経験の延長の上にこの仕事はある。

 説明画ではなく、読み手の想像力にまかせる余情を含んで残す手法を評価する。また、小磯がこの仕事を依頼されたいきさつ、小磯のキリスト教的背景、さらに下図との関わりでの製作過程に想像をめぐらしている。

 聖書の内容的理解を仕事としてはいない辻氏は主として画家の構図の解明にその論考の中心を置く。いずれにせよ優れた論文である。

 筆者は後に記すように、聖書学、聖書解釈、キリスト教神学を加味して、構図や色彩が醸し出す、精神性、宗教性に光をあてて見た。この図録には32葉の絵と下絵、さらに関連ある小磯の宗教的小品が収録されていることは、極めて小磯を日常的画家として親しみやすくしている。

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 小磯について全く初めての方もおられるであろう。素描をしておく。

「洋画家。神戸市生まれ。東京美術学校卒。新制作派協会結成。穏和な人物画を描く。作『斉唱』など。文化勲章。(1903–1988)」(広辞苑)。

 小磯の生家岸上家の両親も養子先小磯家の両親も旧三田藩の家臣で、ともに日本組合神戸教会(現日本基督教団神戸教会)の会員であった。

 小磯は幼少時通った日曜学校の思い出を懐かしく心に抱いていた。1933年、牧師鈴木浩二より受洗。

 作品は清楚で典雅な女性像が多く、また多くの群像を描いている。西洋古典主義の定着を使命として東京芸大教授として教育にも携わった。その間、新聞小説の挿絵は石川達三の「人間の壁」などを含めて30年余り約4000点におよぶ。

 その小磯が1968年、65歳の頃、日本聖書協会からの要請で『口語聖書』の挿絵を描くことを引き受けた。聖書の70か所位を同協会側が示し、そこから「面白い構図になりそうなところ」32か所は小磯が選んだという。交渉は鈴木二郎(にろう)が、事務折衝は沢田郁子が当たった。写実の画家と自らも語っている小磯は、聖書を読んで想像してさし絵を描くことには、思った以上に難渋したようであった。

 後に長谷川智恵子とのインタビューで「あまり熱心な信者じゃなかったから聖書は拾い読み程度でした。この仕事をすることになって、はじめて聖書を熟読しましたが、結構面白かったですよ」、「半年ぐらい構想を練って、描くのに半年」と述べている(『繪』200 号)。

 このときのことを友人・田中忠雄に、今度は勉強になったよ、と語ったという。

『口語聖書』の挿絵完成(旧約15点、新約17点)と『口語聖書聖画集』の出版が1971年、68歳だから、『図録』の説明より多くの時間をかけ約2年余後の完成ということになる。

 下図は43枚が収められている。制作の過程を小磯はこう述べている。「トレーシング・ペーパーを使って、まず描いて、その上にまた、その紙をおいて悪いところを修正します。つまり、スリガラスにランプのついたのを使ってトレースしていったのです。最後に竹のペンに墨汁で描き、乾いてから水彩をつけました」(前掲)。

 それをみると、例えば「アブラハム、イサクをささげる」場面など天使の位置が下図と全く変わっている。完成作品は天使を中空にとどめ神の介入の瞬間を考慮した構図に決めたのであろう。

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 さて、私にはこの展覧会に忘れ難い思い出がある。西宮公同教会から、展覧会の観賞会を計画したから、現地で解説をし、その後、小磯良平と聖書の挿絵をめぐって講演をするようにとのことであった。

 現地では美術館側が他の入館者の迷惑にならないように急遽「解説員」の腕章を貸してくれるという暖かい配慮があったりして、日頃の挿絵への思いなどを述べさせて戴いた。

 そのことがきっかけになって、本格的に「挿絵」への論考を深めることにした。幸い、横浜の湘南とつかYMCAが、月2回「やさしく学ぶ聖書のつどい」の場を提供してくださり、そこで「洋画家 小磯良平の聖書のさし絵から聖書を学ぶ」というテーマで集会を持ってきた。

 常時数名、多い時は10名近くなったこともある。ほとんどはいずれかの教会のメンバーであり、そこに照準を合わせたため、初心者を振り落とした感はある。

 一応自分の心構えとしては、
① 小磯の絵の表現がそのテキストのメッセ-ジと如何に触れ合っているかを、構造、人物配置、背景などを通して読み解く。
② 現代聖書学の文脈で小磯の選んだ聖書テキストの意味を解明する。
③ そのテキストを現代の文化、社会、政治、経済、宗教との関連を考えて絵との関連で想像力を働かせて、私なりの洞察を深める、という狙いであった。

 2008年6月から始めて、ほぼ月2回で現在31回を終えた。後最後の「パウロの改心」を残すのみである。

 やってみて、気が付いたことであるが、なぜこの場面を挿絵として選んだか、に思いをめぐらすことが多かった。

 聖書協会側からの70か所は、聖書の挿絵の歴史あるいは西洋古典聖画などから示されたと伝え聞く。その範囲で取り上げられたに違いない。しかし、その中から32葉を選んだのは小磯自身だと言う。

 だとするとその絶妙な選択に驚かざるをえないような箇所が何か所かあった。さりげない構図、人物の位置、表情などを読み解くと、実にその深層で聖書テキストの真意に触れ合うものが多いということである。これは小磯が聖書をよく読んだことを意味している。そしてそこに画家の直感が働いたのであろう。

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 この時間に、32葉全部を取り上げる訳にはいかない。いずれ出版社に相談して、一度、初心者にもとりつけるようなものに書き直して、残したいとは思っている。今夕は関西神学塾が夏のシンポジウムで、「使徒言行録」を取り上げたので、その関連で「使徒行伝(小磯の挿絵は口語)」の3葉について論考の要点を述べたい(別紙挿絵参照)。

① 「聖霊が降りる、五旬節(ペンテコステ)」(使徒言行録 2:1-13)
 エル・グレコ([ペンテコステ]1596–1600、プラド美術館)に倣って炎の形が各人の頭にある。

 注目したいのは12人の人の絶妙な配置の構図である。右側の5人と正面の5人と左側に2人を置いているようでもあり、7人が円陣を描いているようでもある、
 後者の理解をすると円陣を外してその外側の5人を繋げているようでもあり、右下の一人を椅子から立たせて後ろに手を組ませている辺りの動きを絵に盛り込んでいる。
 二人ずつが組になって話をしているようだが、正面の一人はぽつんと瞑想しているようであるし、右から3人目の人も上を向いて思いにふけっているようでもある。
 右端後ろの一人は、対話を後ろから見守っているようでもある(下図ではこの人は祝祷のように両手をあげている)。
 いずれにせよ、集団でありつつ、ペアでありつつ、独りであるという、多様な関係を生き生きとさせている。絵の光源は人の輪の真ん中にあるようである。聖霊の働きを「言葉」の働きとして記述した使徒行伝の著者の意図をよく表現した挿絵である。

②「ステファノの殉教、ステパノ石で打たれる」(使徒言行録 7:54-59)
 6章からの一連の事件はヘレニスト・キリスト者がエルサレムから追放され、やがて使徒言行録のテーマである異邦人伝道に繋がる。テーマからこの一枚は欠かせない。

 石を打ちおろさんとする「宗教的・イデオロギー的」殺意、群衆のバック、立ち会い人としてのサウロのしたり顔。ステパノの無抵抗の祈りの姿。暗示に富む。

③「サウロの改心」(使徒言行録 9:1-9)
 サウロがぶっ倒れている所、それが唯一枚パウロの描写だという所が大胆で面白い。

 小磯さんは「信仰義認論」などあまり聞いたことはないであろう。神戸教会の歴史は先鋭的にこのことを説いてきてはいない。

「突然、天からの光が」(3節)を絵画化せず、「地に倒れた」(4節)「同行していた人たちは……ものも言えずに立っていた」(7節)のみを具象化している。

 パウロ伝道を展開する「行伝」の抑えどころを絵にした傑作である。

「岩井健作」の宣教学インデックス(2000-2014 宣教学)

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