育み・育む・育まれる(2009 礼拝説教・詩編84)

2009.10.4、明治学院教会(168)

(単立明治学院教会牧師 5年目、健作さん76歳)

詩編 84:1-12、Ⅰコリント 3:1-9

つばめは巣をかけて、雛を置いています。”(詩編 84:4、新共同訳)

1.厳しい農業労働を終え、収穫を感謝して、年1回エルサレムの神殿に都詣でをした、信仰厚い詩人の心が、この詩には滲んでいる。

「雨も降り」(7節)は秋の収穫の後のこと。

「嘆きの谷」(7節)は字義では「バーカーの谷」。場所はわからないが、エルサレムに行くまでの荒れ果てた谷であろう。比喩的には、広く人生の苦しい経験が暗示されている。

「あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです」(11節)は、神殿での詩人の高揚と日常生活のリズムが意識されている。

2.注目したいのは、4節。

”あなたの祭壇に、鳥は住みかを作り、つばめは巣をかけて、雛を置いています。万軍の主、わたしの王、わたしの神よ。”(詩編 84:4、新共同訳)

 祭壇に小鳥の巣とは、神殿の荒廃だ、と解釈する学者もいる。が、詩の全体からは無理な解釈。

 言葉は直接的意味と、象徴的な用い方とがある。ここは象徴言語、比喩である。巡礼者は、遠いところから、一年の労働とその収穫を終えて、今、晴れやかにそれぞれの捧げ物を携えてきた農民である。

 ハレとケ、祭りと労働、解放と束縛のケジメを大事にする。

 民族学的な感覚では、ハレての巡礼である。神殿のどこかに鳥が住み、つばめが巣をかけていることは、自分たちの人生の「育み」の営みが持っている命の全体が暗示されている。

「神殿」に巣を作って住み、子を育むという比喩のスケールは大きい。

 信仰者は、世俗に生きるが、帰ってくる礼拝の場所を持つ。

 そこで祈る。その全体が一つに捉えられている。

3.「雛を置いている」(4節)という言葉は、自分が子供を育てていることの恵みを暗示している。さらに自分も神に育てられているという信仰が意味されている。

「育てる」という苦労は、「育てられている」という自分を自覚させる。

 関係というものは、相手の立場になってみて初めてわかるものだ。

 結婚式には親と子の「時の二重性」を感じる。「親の恩、子知らず」「子を持って知る、親の恩」という諺である。

「育み」ということと、「育む」ということと、「育まれる」ということは、一つの事柄を意味している。全体が一つの神の恵みの内にある。

4.この詩には辛くて重い日常がよく出ている。

「勇気を出し心に広い道を見る」(6節)。勇気を出さなければ越えられない道がある。

「祈りを聞いてください」(9節)という。そこには現実の苦しさがある。

 しかし、詩全体はそれを突き破って進んでいく希望や喜びに満ちている。

「いかに幸いなことでしょう」というリフレイン、繰り返しが3回も出てきて、自らを確かめている。

「主は与え、良いものを拒もうとはなさいません」(12節)。この言葉に励まされて、子育てをし、家族を育て、そして、それを包み、育む教会を、神の宮を、守っていこうではありませんか。

5.十年ほど前に観た、映画「千と千尋の神隠し」のことが思い出される。

 宮崎駿さんの「育てる」という思想のスケールは大きい。

168-20091004

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