あの出来事の証人がいるということ(2009 礼拝説教・使徒言行録)

2009.8.9、明治学院教会(162)聖霊降臨 ⑪

(単立明治学院教会牧師 5年目、健作さん76歳)

イザヤ 43:8-15、使徒言行録 1:6-11

 今日のテキスト、6−8節から、三つのことに注目したい。

1.「イスラエルのために国を建て直してくださる」(使徒言行録 1:6)。

 著者ルカの歴史観が出ている。

「ルカ・使徒文書」の大きな特徴は「イスラエルの歴史・イエスの出来事・教会の発展」という三つの事柄を「神の救いの出来事の歴史」という一本の線で繋いで理解したことである。

 使徒言行録が述べようとする「教会の歴史」はその一環で、それをイスラエルの歴史に結びつけて「神の救済の歴史」に組み込んで、長い目で捉えた。

 イスラエル民族の主流であるユダヤ教の当局者はイエスを殺した側であった。

 しかし、そこにイスラエルの歴史の本流があるのではなく、殺されたイエスを「復活の主」と告白する側に「真のイスラエルの連続性」を見た。

 出エジプトの救いの出来事、律法、預言者の働きの約束の成就に、教会の働きを繋いだ。

 聖書の意味する救いは、ポツンと「私個人」の一人の救いとしてあるのではなく、人の目には紆余曲折の歴史が「救いの歴史」として繋がっているという理解。

 例えば、この教会に招かれている我々は、明治学院という「信仰の歴史」の土台になんらか繋がっていて、同時に個人の決断としての信仰が一方にある。

2.「お定めになった時や時期」(使徒言行録 1:7)は、「終末の時」に至る「聖霊降臨の時」に始まる「イスラエルの更新の出来事」の期間を意味する。

「時と時期(カイロスあるいはクロノス)」はルカの好む救済史的用語で、二つの時を表す言葉の組み合わせ、救済の全部の「期間」(荒井献訳)を示す。

 それが「神の定めによる」というところが強調点。

「神の救済計画は一義的に神の計画である」(コンツェルマン『時の中心 ー ルカ神学』田川建三訳、新教出版社 1965)。

「定め」の受容が大事。

3.教会の発展の根拠と方向。

”あなたがたの上に聖霊が降ると、あなた方は力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」”(使徒言行録 1:8、新共同訳)

「地の果て」はローマ。この世の権力の価値基準はローマ帝国から、帝国の支配地・辺境のエルサレムに及んだ。

 だが、聖書の価値観の広がる方向は逆である。

 人間の命に関わる価値観は草の根から権力の中枢に向かう。現今、必死の「核兵器廃絶」の叫びはその最も切実なものである。

4.「わたしの証人となる」(使徒言行録 1:8)は、「十字架に至る死によってしか『福音』を顕にされなかったイエスの出来事の証人になること」。

 イエスの弟子たちは「イエスの十字架の死」に対して”death guilt”を負った。

“death guilt”とは、死が生き残った者に投げかける心の重荷。死の罪意識。

 使徒たち(生前のイエスと行動を共にした者たち)は、神の定めの時を信じ、聖霊が降ることでの力を信じ(death guiltの克服)、イエスの生が端的に示した価値観の展開を信じ(いと小さき者への愛、それは権力に担保されない価値観)、歩むことであった。

5.その証人があまた存在することに目を開かれてゆきたい。

 広島の証し人のこと(在韓被爆者渡日治療広島委員会:韓国の被爆者を日本で無償で治療する活動)。

162-20090809

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