「コヘレトの言葉」を現在日本の教会で読む意味(2009 宣教学 59)

2009.5.25(月)、西宮公同教会、関西神学塾、「岩井健作」の宣教学(59)
関西神学塾 岩井健作

(牧会51年、明治学院教会牧師、健作さん75歳)

(聖書引用は「新共同訳聖書」)

1.「格言に宿る神」(9章13節-18節)

1-1.「コヘレト」の語源は「招集する」「集会で語る者」の意味。

 この書は、まとまった物語、思想体系、神学の知見ではない。日常生活の経験に由来する知恵や格言の断片的集成。

1-2.この箇所は、戦略理論を極める王からある町が攻撃を仕掛けられた時、その町の貧しい賢人の機転やトリックの知恵で、町が攻撃から救われた故事に基づく。

 しかし、この賢者は顧みられなかった。この厳しい現実。だが、それでよいのだろうか。「知恵は武器にまさる。一度の過ちは多くの善をそこなう」(9:18)。

1-3. いつの時代にも確かに貧しい人はいる。何故なのか。社会的搾取によるのだ。

 紀元前2世紀後半のユダヤは、アレキサンドロス大王の支配が終わって、プトレマイオス王朝とセレウコス王朝の二つの勢力が争って、5回のシリア戦争(BC 301-198)があった。

 ユダヤは自治権があったものの、政治的には王朝に服従を強いられ、徴税制度の強化、大土地所有制や輸出商業権の独占形態により、民衆の苦痛は過酷で、奴隷への転落者が増し、政治的支配と戦争の二重の苦しみが民衆にのし掛かかっていた。

 さらに、祭司による神殿政治(公定宗教)は「神は正しい人に報いる(因果応報)」との「律法遵守」を基本原理として、犠牲の祭儀ができない者を神の罰を受けているものと差別し、社会的搾取に加えて宗教的差別が貧しくされた人々を苦しめた(神殿体制が政治的抑圧を補完)。

「貧しいこの人のことは、だれの口にものぼらなかった」(9:15)の意味は大きい。「貧しい人の知恵は侮られ、その言葉は聞かれない」(9:16)は差別の二重構造を示している。

 コヘレトは「因果応報」の体系的思想に「否」を言い、賢者の格言的知恵を逆手に取って絶望の淵にある民衆を励ました。

1-4.抑圧され、貧しくされた人たちに言い伝えてきた知恵は大事なのだ。それは生き抜いてゆく力だ、神の働きはそのような格言に宿っているのだ、と言ったのが「コヘレト」である。本当に大事なことは「賢者の静かに説く言葉が聞かれるものだ」(9:17)。

1-5.武器を持つ論理は、戦争の体系的論理だ。

 しかし、日常の経験的知恵・格言は、断片であるがゆえにそれに勝って人を活かす。「知恵は武器にまさる」(9:18)。

「太陽の下に」(9:13)はコヘレトでは29回用いられる表現。生活の物理的空間と同時に商業利益、軍事力優先の当時の太陽神のエジプト王朝の隠喩である。苦しい時代を生き抜いてきた先人の知恵を再考したい。

2.「無名人として生きる」(1章2節-11節)

2-1.コヘレトの歴史的時代背景は、歴史家が傍証から推測する以外にはない。

 パレスチナ(古代オリエントの交通の要路)には、人々をして本当に「空しい」と言わしめた時代があった。歴史家の想像では紀元前301年から紀元前198年ごろのプトレマイオス王朝(エジプト中心)とセレウコス王朝(シリア中心)が、この地の覇権を争った時代である。

 5回の戦争があり、流血、戦費調達の重い年貢、社会的不平等、貧困、権力内の腐敗が進んだ。

「一代過ぎればまた一代が起こり、永遠に耐えるのは大地」(1:4)。「風はただ巡りつつ、吹き続ける(風はセレウコス朝の暗示)」(1:6)。「かつて起こったことは、これからも起こる。太陽の下、新しいものは何ひとつない」(1:9)。

2-2.釈義。

「空の空 — コヘレトは言う — 空の空、すべては空しい」へブル語では繰り返しは強調。

「空」は47回繰り返される。「空気の中で消えてしまうもの。風、霧、もや、霞」。

 実体性を欠く現象は常に変化する、その「無常」の現実に「ふさわしく」対応すべきである。「『般若心経』の『色即是空。空即是色』の意味である」(木田献一『コヘレトの言葉』)。

「太陽の下、人は労苦するが、すべての労苦も何(イトゥロ-ン)になろう」(1:3)。イトゥローン(利益、利潤、収益 1:3、2:11、3:9、5:8、5:15)商業用語10回。

 農民の税金の高さ。生産者が借金にあえぐ現実がある。経済的価値を徹底して相対化する強烈な現実認識。

 自然に再生を見ない。「地、太陽、空気、火」の四大要素のギリシャ哲学の否定。

「語り尽くすこともできず」(1:8)。言葉の創造性を否定。

「その後の世にはだれも心に留めはしまい」(1:11)。記憶の否定。権力者の名は残らない。

2-2.この「空」を現実認識として知った上で、なお書き留め、言葉化する「主体」とは何か。

 誰かが読んで、それを自分の生き方の糧とすること、に深い希望と信頼を密かに持っているのではないか。この無名の主体の生き方を読み取ることが「コヘレトの言葉」を読むことであろう。

 そこには「無名性」が備わっている。事実「コヘレト」は「集会で語る者」の意味であって名は隠されている。「名は天に」(ルカ 10:20「むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」)。

「無名性が備わっている人というものは、私はほんとうの人間だとおもうんですよ。無名性とは何かというと、自己否定、権威や権力を求めないことだと思う」(笠原芳光『イエスとはなにか』春秋社、2005年5月、p.265)。

3.「眠れていますか」(5章7節-19節)

3-1.「貧しい人が虐げられていることや、不正な裁き、正義の欠如などがこの国にあるのを見ても、驚くな」(5:7)。

 酷い時代だ。「国(メディ-ナ)」はここでは「州」でペルシャ帝国の支配体制を示す言葉。州内の虐げの中で自治権を持つ「王」が命の根源である「耕地を大切にすること」が「益」だと述べる。「何にも増して国にとって益となるのは 王が耕地を大切にすること」(5:8)。

 歴史家によるイスラエル民族の土地を巡る体制を「部族生産様式」「年貢生産様式」「奴隷制生産様式」の変化として捉えると、コヘレトの時代は奴隷の時代と考えられる。そこでは「農」が基本であると。なかなかの卓見である。

3-2.「銀を愛する者は銀に飽くことなく」(5:9)。

「銀」(ケセプ)は貨幣・現金とも訳せる。コヘレトには6回。

 金持ちの貪欲の空しさを指摘。財産の守りに心配が募って眠れない者がいることは事実。もちろん貧しい人には余計不眠があったであろう。ブラジルの中ノ瀬重之神父が書いた解説によると「飢え、栄養不良、借金や重労働といったものは、ほかの貧困の結果と同じように、不眠と疲労をもたらします。しかし、コヘレトは多分、経済的に恵まれた状態にいたのでその方面は無知であったと思われます」(p.75)とある。言葉を使うものは所詮中産階級である。しかしなお「働くものの眠りは快い」(5:11)は至言です。

▶️ 参考:『喜んであなたのパンを食べなさい』(2009 書評・ブラジル・コヘレト)

3-3.「太陽の下に」(5:12)は前掲の意味以外に、ギリシャ支配のヘレニズムの生活様式を象徴する表現だといわれる。

 それは、巨大な軍隊、都市国家の創設、自由通商、海洋の征服、そして奴隷制の確立が実行された世界である。

 現今の「新自由主義」に劣らない過酷さがある。金持が下手な取引で富を失い息子に何も残さなかった悲劇など。「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。」と空虚な現実を語る(ヨブ 1:21)。

「風を追って労苦して、何になろうか」(コヘレト 5:15)。「風」は政治権力を象徴的しています。「風になびく葦」という。

 問題は、空しさの底の底をどう生きるか、なのである。

3-4.「自らの分をわきまえ、その労苦の結果を楽しむように定められている。これは神の賜物なのだ」(5:18)。

 肯定的な発言である。「神に与えられた人生」(5:17-18)という捉えかたを底の底として、「日々に食い飲みし」(ベブル語では〈食い飲み〉の順序)が勧められる。人生を肯定的に捉えること。「神がその心に喜びをあたえられる」(5:19)ともう一度念を押す。

3-5.コヘレトの時代、農民や貧しい人が極端に生きにくい時代であった。

 しかし、神の賜物(支え、肯定)を見抜くヒントが示唆される。

「働く者の眠りは快い」はその一つである。現代の不眠は文明の大きな問題です。「国民」の5人に1人は不眠を訴えている(入眠障害・中途覚醒・熟眠障害・早期覚醒)。それは、ストレス、生活習慣からくる。コヘレトは「眠れる」事への「神の賜物」のヒントを示唆する。

 ヒントは論ではない。五木寛之『生きるヒント』(角川文庫)が人生論ではない如くに。ヒントは示唆であって回答ではない。きっかけであって、あとは自分で考えて生きる。コヘレトは生きる主体性を促すヒントの書物である。

4.「なお今を生きる」(9章1節-10節)

4-1.コヘレトの言葉の背景には、律法と神殿を中心にして民族共同体の再編成体制がある。

 その理念は宗教法規。万事が律法で秩序づけられる思考様式に対して「すべてのことを悟ることは、人間にはできない」(8:17)と反論し、人間は死に向かって歩む存在であり(9:3)そこから逆に徹底して生きる事の肯定の思想が語られる。

4-2.パンを喜んで食べる事、ブドウ酒を飲む事、香油を用い、清々しい衣服を着ること。愛する妻と楽しく生きる事、それが人生の報いだ、「あなたの業を神は受け入れていてくださる」(9:7)という、人生そのものが神の無償の恵みである事を語る。

 働く喜びは今なのだ、「手をつけたことは熱心にするがよい(死ねば仕事もない)」(9:10)とコヘレトは「現在」を生きることを勧める。

 刹那的現在ではなく、無償の恵みの現在。生かされている現在。共生の自覚の現在。

「その日の苦労は、その日だけで十分である(マタイ 6:34)」

 とのイエスの言葉を思い起こす。

5.コヘレトが現代に問う、思考の方法への課題

(1)体系的思想(知識)と断片的思想(知恵)の相互関係の課題。

(2)観念性と身体性という課題。

(3)貧者からの視点という課題。

(4)何故旧約「正典」のなかに入れられたのか。

 これらの課題を追って理解を深めたい。

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