2009.1.25、明治学院教会(142)降誕節 ③
(単立明治学院教会牧師 5年目、健作さん75歳)
Ⅰコリント 3:1-9
”成長させてくださったのは神です。”(Ⅰコリント信徒への手紙 3:6、新共同訳)
1.教会堂を「天と地をつなぐ空間」といった教会建築家がいます。
それになぞらえれば、教会の働きは「天と地をつなぐ営み」です。
「天」は聖書では限りなく”超越”であり、「地」は限りなく”闇”です。
戦争・飢餓・貧困・抑圧の現実。教会はその間にあって、執り成し・苦しみ・祈り、それでもなお「神」を讃美し、感謝する役目に召された者の集いです。
2.パウロの「コリントの信徒への手紙」は、教会の形成のために払われた、パウロの涙と汗の結晶です。彼は1年6ヶ月の間、コリントの町で伝道をしました。その活動が如何に激しいものであったかの記録です。
コリントの街はギリシアの大都会・港町。60万の人口のうち、20万は自由市民、40万は奴隷でした。
港町は開放的・自由闊達ですが、派手で、お金の世界、宗教も自分たちの安全とご利益のためにあり、売春などは当たり前で、知的にも人間中心的な哲学が根を張っていました。弱肉強食の社会でした。
3.パウロの苦労は、弱者を抱え込んだ人間関係の質の問題でした。
”一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです”(Ⅰコリントの信徒への手紙 12:26、新共同訳)
この「人間の繋がり方」の問題です。
社会的底辺層の人たちが、先ずこれ(福音)を受け入れました。
”世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです”(Ⅰコリント 1:26、新共同訳)
コリントの教会は、無力な者が、ただ恵みを信じて助け合う人と人とのつながりを証しすることで「天」と「地」をつなぐ営みに参加できた教会です。
だが、少し時が経ってみると、宗教的世俗の濁流に呑まれました。
4.「霊の人」と称する、当時のグノーシス(知識)主義思想の人々が教会の中で「霊的」と称して「強い人」として派閥を構成して振る舞いました。
世俗の宗教版です。「お互いの間にねたみや争いが絶えない(3:3)」状況です。
5.問題は、ある「概念」に生きることではなくて、自分の殻を破ることです。神は神であることを破って、僕(しもべ)の姿で、人と成り給うた、そのイエスの十字架の死を通して示された福音です。
神が僕の姿をとられたように、殻を破るところに「成長」があります。
その意味で、成長させてくださるのは神なのです。
”しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。”(Ⅰコリント 3:6-7)
「神の」という言葉の中に、あのイエスの十字架の出来事が含まれています。
「たえず十字架を負って」とは自分の殻を破ることです。
成長とは、あの十字架の自己否定・自己放棄をどれだけ繰り返して深めることが出来るか、なのです。
6.自分の「殻」を破るという人生を歩んできた方に出会うと本当に信仰の成長を教えられます。
聖書の言葉で言えば「キリストと一体になってその死の姿にあやかる」(ローマの信徒への手紙 6:5)ということでしょうか。
そんな方たちによって、教会は成長を遂げてきました。
142_20090125◀️ 2009年 礼拝説教