2009.1.21、湘南とつかYMCA “やさしく学ぶ聖書の集い”
「洋画家 小磯良平の聖書のさし絵から聖書を学ぶ」⑭
(明治学院教会牧師、健作さん75歳)
ダニエル書 6:1-28
ダニエルは旧約聖書ダニエル書の主人公である。もともと聡明で敬虔な人物として有名(エゼキエル書 14:14、14:20、28:3)。
バビロニア補囚時代からペルシャ時代にかけて帝国の宮廷に仕えたとされている。異教の地にあって純粋な信仰を守り抜くとともに、ネブカドネツァル王の夢の意味を解くなど様々な難題を有能に解決して出世を重ねていく人物の信仰の物語である。
ダニエル書1章はこう書き始められている。
ユダの王ヨヤキムが即位して三年目のことであった。バビロンの王ネブカドネツァルが攻めて来て、エルサレムを包囲した。主は、ユダの王ヨヤキムと、エルサレム神殿の祭具の一部を彼の手中に落とされた。(ダニエル書 1:1、新共同訳)
紀元前597年、第一次バビロニアのユダ王国侵攻である。
ユダ王国の主だった人々は、バビロニアに補囚として連れてゆかれた。「第1次バビロニア補囚」といっている。イスラエル史における大変大きな出来事である。
前回の「エズラ律法を人々に読む」の挿絵は、バビロニア帝国がペルシャ帝国に滅ぼされ、ペルシャのクロス王によって補囚のエルサレム帰還が実現し、エルサレム神殿の再建と律法が民族を結び付ける絆として強調される時期の話であった。
「しし穴のダニエル」は、それよりも前の時代、補囚時代の物語である。
ネブカドネツァル王、ベルシャツァル王、ダレイオス王と王国の支配者は移り変わった。
補囚の初期にネブカドネツァル王は次のように優秀な少年を選抜・養成したとある。
イスラエル人の王族と貴族の中から、体に難点がなく、容姿が美しく、何事にも才能と知恵があり、知識と理解力に富み、宮廷に仕える能力のある少年を何人か連れて来させ、カルデア人の言葉と文書を学ばせた。(ダニエル書 1:3-4、新共同訳)。
この少年の中にユダ族出身のダニエルがいた、というのが物語のはじまりである。
ダニエルは才能と共に「夢解き」の不思議な能力で、3代の王に用いられる。ベルシャツァル王の時代、王宮の白い壁に「人の手の指が現れて」(5:5)文字が書かれた。王は恐怖にかられたとき、その文字を解き明かしたのがダニエルであった。「メネ、メネ、テケル、そしてパルシン」(口語訳「メネ、メネ、テケル、ウパルシン」)(5:25)、「へりくだり」を失った王への滅びの予言であった。この言葉を聞いたその夜、この王は殺された(5:30)。そうして物語は6章に入る。
ダレイオス王の即位は、彼が62歳のときであった。120人の総督を置き全国を治めたとある。その上にこれらの総督から報告を受ける3人の総督を置き、その1人がダニエルであった。
ダニエルには優れた霊が宿っていたので、他の大臣や総督のすべてに傑出していた。王は彼に王国全体を治めさせようとした。(ダニエル書 6:4、新共同訳)
ここで他の大臣から、王を含めて、彼を陥れる計画が計られ、結果、彼はししの穴に投げ込まれた。王自身が、その奸計に気付き夜を眠れずに過ごしたのち、「ダニエル、ダニエル、生ける神の僕よ、お前がいつも拝んでいる神は、ライオンからお前を救い出す力があったか。」(6:21)と声をかける。そこでダニエルは王を称え、獅子の口を塞いだ神を称える。「この神は生ける神、世々にいまし、その主権は滅びることなく、その支配は永遠。この神は救い主、助け主」(6:27-28)との告白と讃歌で締めくくられる。
3章も6章も、自分を神の顕現と称して絶対化し、ユダヤ人にゼウスの像に犠牲をささげることを命じたアンティオコス4世の迫害を念頭に置いた物語である。
シリア帝国の傲慢な支配を批判し、アンティオコス・エピファネスの迫害の下にいる信仰者に励ましを与える物語であった。
研究者はダニエル書執筆の年代を下限を紀元前164年アンティオコスの死以前に置いている。伝承はかなり古いものである。後半(7−12章)では、世界帝国の交替の歴史、終末論的な幻を見る者として描かれている。
キリスト教の歴史では、迫害においての希望が与えられることの象徴として大事にされた物語である。「ししの穴のダニエル」は、多くの画家が、図像を残している。
「獅子の洞窟に投げ込まれたダニエル」の図像は「3人のヘブライ人」と共に「救済の希望、祈りの力、復活の表象」として早くから、「カタコンベ壁画」や「石棺彫刻」などに描かれた。
「3人のヘブライ人」は、ダニエル書3章に登場する3人の若者(シャドラク、メシャク、アベデネゴ)で、バビロニア支配下、偶像礼拝を拒絶したため命令で燃える炉に入れられたが、天使(「4人目の者は神の子のような姿をしていた」3:25)に守られて火傷一つ負わず、逆に刑吏が焼け死んだ。
3−4世紀の初期キリスト教美術の「葬礼美術」に見られる。
小磯さんの絵は、穏やかな獅子、朝の光と共に、牢獄を窓から覗くベルシャツァル王の表情が如何にも安堵といった感じに描かれている。
獅子が上を向いて王に挨拶をしているようなところはユーモラスである。
木田献一氏(『旧約聖書概説』P.360、聖文舎「1980)はダニエル書の著者は敬虔派(ハシィディーム)のグループに属し、律法を守って迫害された人達であると書いた。
「主の慈しみに生きる人の死は主の目に値高い」(詩編116:15、新共同訳)やマルコの小黙示録の「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」(マルコ 13:13、新共同訳)の信仰に通じるものであることを指摘している。