2008.9.21、明治学院教会(127)聖霊降臨節 ⑳
(単立明治学院教会牧師 4年目、健作さん75歳)
マルコ 1:29-45
”彼は怒って、手をのばしてその男にさわり、言う、「望む。清められよ」。そしてすぐに、癩はその男を離れ、その男は清められた。”(田川建三訳、マルコ 1:41-42、新約聖書 訳と註 マルコ福音書、青土社 2008)
”イエスが深く憐んで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。”(新共同訳、同上)
1.病む人の「いやし」への切望は大きい。
三(共観)福音書を合わせると、115ものイエスの病気の癒しの話が載っている。
「夕方になって」(マルコ 1:32)日が沈むまでは、ユダヤ社会の安息日律法の規則が治癒行為を禁止していた。
”夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。”(マルコ 1:32、新共同訳)
山形孝夫著『治癒神イエス』(小学館 1981)によると、当時、悪霊つきや癩病は神から呪いを受けたものとして、人々から恐れられていた。イエスの癒しは、病人に強制されていた牢獄のように重い社会的意味づけからの解放のための行為であったという。
2.新共同訳聖書では「イエスが深く憐んで」(1:41)と訳す。しかし、聖書学者は「イエスは憤って手をのばし」(荒井献訳)「彼は怒って」(田川建三訳)と訳す。
写本の西方系は「怒り」。それ以外の系統は「憐んで」となる。文脈からは、すぐ後に「厳しく注意して」「叱り飛ばして」があるので、「怒り」の方が筋が通る。
しかし、イエスには「憐んで」の方が馴染むので、写本家が書き換えをした。
3.なぜ「怒った」のか。
規定を犯して癩病人がノコノコ出かけてくることに対して「怒った」と田川はいう。
古代人は癩病は恐ろしい伝染性のある病気だから、患者と接するには非常に面倒な規定が多く作られ、接触を規制した(レビ記 13章以降)。
それによれば、癩病患者の街中の歩行は禁止されていた。イエスは一見無神経な癩病患者に怒りをぶつけた。しかし、その彼の切実な、世間を物ともしない気概に応えて「望む。清められよ」(田川訳)「よろしい。清くなれ」(新共同訳)と声をかけた。
「たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった」(新共同訳 42節)「そしてすぐに、癩はその男を離れ、その男は清められた」(田川訳 同上)。
そしてまず規定通り祭司に見せ、歩き回ったり、人に言いふらしたりするな、と叱り飛ばした。これが物語。
これはこの男に対する支えと励まし、生きることへの肯定の宣言である。
イエスの怒りには、単にこの男の軽率な行動だけでなく、病人を差別して社会的負担で押し潰してゆく人間の社会に対する怒りも暗に込められていたであろうと想像する。
4.イエスは一人の男に、怒ったり、叱り飛ばすほどに深く関わられた。
一人の人の痛みを自分のこととされた。
逆に、伝承を残した人々は、自分たちなりのイエス像を作って、民衆がともすると旧約律法を軽んじたので、そんな人たちに向けて、「イエス様だって律法を大事にしているんだぞ」ということを示したかった。イエスが旧約律法に忠実だという神は、イエスの名を借りて作られた伝承の趣旨。そんな伝承にも関わらず、一人の病人に関わる真実なイエスの振る舞いが滲んでいる。
5.マルコの編集の力点は、45節。
”しかし、彼はそこを立ち去れると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた。それで、イエスはもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいない所におられた。それでも、人々は四方からイエスのところに集まって来た。”(マルコ 1:45、新共同訳)
”その男は出て行って、大いに述べ伝え、言葉を広めはじめた。そこで彼はおおっぴらに町の中にはいることができなくなり、外の寂しいところにとどまることとなった。そしてあらゆるところから彼のもとに人がやって来るのであった。”(同上、田川建三訳)
沈黙を命じれば命じるほど、イエスの名が広がってゆく、無名な語り手こそ真の宣教者である、とはマルコの考え。
自分の身に起こったことを通して、イエスを広めてゆく。
マルコは当時の教会に見られた高踏的・教条的権威主義を批判し、民衆の必死の姿にこそ、イエスの命が生きていることを主張した。
火花が散るようなイエスとの出会いを大切にしたい。
127_20080921
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