2008.5.25、明治学院教会(115)聖霊降臨節 ③
(単立明治学院教会牧師 4年目、健作さん74歳)
ローマの信徒への手紙 12:1-2
”こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして捧げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい”(ローマの信徒への手紙 12:1-2、新共同訳)
1.教会の「礼拝式」には
①「神から人へ」
②「人から神へ」
③「交わり、共同性」(マタイ 18:20)
の3要素がある。
2.ローマの信徒への手紙 12章1節の「礼拝」は③の要素を示す。
冒頭の「こういうわけで」は1章〜11章までの全体を受ける。端的に「福音・神の義・無償の義(義は神からの関係)」の再度の強調である。
「神の憐れみによって」がそれを示す。その上で「勧め」を語る。「勧め(原語”パラカレオー”は”慰め”の意を含む)」は実践的な指示。方法論の明示は「慰め」。
3.”自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい”(ローマ 12:1)。
「いけにえ(犠牲)」がイスラエル宗教の祭儀として持っていた意味がここでは精神化・象徴化される。
「からだ」の語には二義あり。
① 神との関係の鮮明化
(洗礼を受けることにより)「古い自分がキリストと共に十字架につけられ……罪に支配された体が滅ぼされ…」(ローマ 6:6)
② 交わり、共同性、被造物の繋がりの中での存在
「自分の体を献げる」とは、神の恵みの下、あらゆる被造物の繋がりで生かされている事実を、自覚的に捉え直して生きること。
「献身」は「献身的な奉仕」の如く、他者を生かす働き。イエスの生に従う生き方。
「礼拝(ラトレイア)」は「キリスト者の生全体」「からだ的実存を献げることが根本的に礼拝の基礎をなす」(新約聖書学者・ケーゼマン)。
「なすべき(ロギコス)礼拝」の”ロギコス”は”理性”という意味。祭儀的にではなく、身体性を伴った「日常生活」の領域での意味。
イエスに倣って、人の尻拭いをする生き方、僕として仕える生き方、他の人の足を洗う生き方が「礼拝」そのものである。
4.ある結婚披露宴でのスピーチ。
夫婦の4段階は「熱愛・葛藤・達観・感謝」だという。その過程には双方の「献身」がある。献身的な身のこなしが、感謝に至る共同性を成り立たせる。
この関係は、教会の共同性、友人との共同性、運動体における共同性において然り。
「あなたからのなすべき礼拝(奉仕)」(ローマ 12:1)はその過程を暗示している。
5.祈り
何故、この苦労が私に、との思いがあります。
しかし、そのことがあなたの御業に繋がっていると信じ、生きられますように。
日常が「なすべき礼拝」でありますように。主イエスの名によって。
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