主に従う人よ(2008 礼拝説教・詩編33・新しい歌)

2008.4.6、明治学院教会(109)復活節 ③

(単立明治学院教会牧師 4年目、健作さん74歳)

詩編33編1節-22節

1、「新しい歌を主に向かって歌い」は旧約の馴染み深いフレーズです(詩編96、98、144、イザヤ42:10)。新しい歌とは何でしょうか。「新作」ではありません。古くからの歌であるのに、記憶と共に新鮮な歌のことです。

「沈むばかりのこの身を守り、天の港に導き給え」(讃273B 「我が魂を 愛するイェスよ」)を人生の最末期に涙で応答された知人と共に、この歌は私にとって「新しい歌」です。

2、旧約学者・勝村弘也氏の『詩編注解』に、「神のなされる業の新しさに対応する、人間の側の神体験の新しさと関係する」(p.24)とあり、関根正雄氏は「造り主なる神を、新たなる年の初めに讃めたたえ、契約を更新することと関係している」と述べます。T・ボーマン『ヘブル人とギリシャ人の思惟』ではギリシャ人の円環的思考でもなく、ヘブル人の一般的な「創造 – 啓示 – 終末」という直線的思考でもなく、「朝があって、タベがあった」(創世記1章)のリズムで捉える「新しさ」だと述べられています。

3、詩編33編には旧約の懐かしい歴史の文言が繰り返されています。民族の長い信仰の歴史がリズムと共に甦ります。「十弦の琴(2節)」はダビデを、「主は正義と公平を愛される(主は恵みの業と裁きを愛し(5節)」は預言者を、「御言葉によって天は造られ(6節)」はヨブ記(38:8) を想像させる創造論の文言です。

 10節以下は、歴史の中での救済論の文言が見られます。「主は国々の計らいを砕き(10節)」はイザヤ48:13を、「彼らの業をことごとく見分けられる(15節)」はイザヤ41:1を、「我らの魂は主を待つ。(20節)」はイザヤ8:17を想起させます。

 この歌は、イスラエル民族が国家の滅亡を経験し、バビロン補囚を経た後に、その主要思想を概観しつつ、教育的意図で構成された「いろは歌」だとも言われています。

 その詩は基本的には「神を賛美する歌」ですが、神の創造の初めに立ち返ること、歴史における救済を「想起すること」をリズムとして繰り返して、生活に体験化させる意図を持っています。「新しい歌」がこの歌のことなのです。

4、「岡安信男氏指導・讃美歌を歌う会」に出て思ったことです。参加の方は学生時代、この方の指導で歌う喜びと楽しさを身に付けた方たちです。讃美歌は古い福音唱歌のシンプルな歌でした。魅力は、岡安さんの「ワン、トゥ一、スリー」という掛け声で始まるリズムの瑞々しさです。

5、詩編の作者は、イスラエルの歴史を想い、もう一度、歴史を貫くリズムを共有することを訴えています。「主に従う人よ、主によって喜び歌え」と。

6、アメリカで反戦平和や人権保護を訴えるデモでは「We Shall Overcome」がよく歌われます。M・L・キング牧師を先頭にした公民権運動が新しく想起され、またベトナム反戦運動が思い起こされます。私には、ジョーン・バエズ(Joan Baez)が岩国でこれを歌ってベトナム反戦の人々を励ました記憶が、甦ってきます。

 自らの内にある「新しい歌」を大切にしてゆきたいと思います。

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