変貌するこの春の国家・社会・環境に向き合って生きる(2007 宣教学54)

2007.5.28、関西神学塾、「岩井健作」の宣教学(54)

(明治学院教会牧師4年目、健作さん73歳)

はじめに

 私たち(個人であるが敢えてつながりのある人々を意識して複数形の主語を用いる)は、今日の国家・社会・環境の急速な変貌を憂うる。

 国家。日本国家は戦争暴力是認の「米軍再編」を契機として「改憲」を軸に「軍事支配国家」への変貌を強行実施している。その先端には現に生命を危険に晒すイラクの人々、子どもたちが存在する。

 社会。新自由主義の競争原理の標榜のもと「格差社会」なるものがあらゆる分野に浸透し、世界人口65億人の底辺基準を是認するレベルに人々を押し流すように、金融マネーの収奪が猛威を振るっている。露骨に「富裕層」「貧困層」の二極化が当然とされ、その歪み現象が犯罪や自殺者などに強烈に反映している。

 環境。オゾン層の破壊、温暖化、酸性雨、海洋汚染、原発(エネルギ−)問題、第三世界の砂漠化、生態系の破壊など、待った無しの危機が叫ば、現に具体的に生活支障を叫ぶ人々の存在は楽観を許さない。

 今を生きる「自分」が一層自覚的にこの「変貌」を捉えて生きる事を願って、この所の行動など振り返り、自分の「キリスト教信仰」なるものへの内省的思いを綴りたい。

国家の変貌

 首都圏に生活するゆえか、東京都千代田区永田町1丁目7番の衆議院議員会館前での「抗議」行動へは他用を兼ねて時折参加した。「辺野古への基地設置阻止」の東京座り込みは、最近は週何回か行われ神奈川「うねりの会」の女性達が月曜日を受け持っている。東京の山口明子さんが中心である。この国会前「教育基本法『改悪』可決」の折は千人を超える人々が集まったが、今は「9条改憲阻止の会・連続ハンスト座り込み」の人達が座り込んでいる。元「全学連」の人達である。旧知もあり一時座を温める。鎌倉では2月11日、3月28日と駅前街頭で「シール運動」をノンセクトで活動する年配の人々十数人(教会関係者もいる)と行動する。元岡山大学・野田龍三郎教授の提案で、街頭で、あるテーマについて「賛成、反対、分からない」の意思表示をシールを貼る事で表明してもらう緩やかな運動である。全国一斉70-80箇所で行い、マス・メディアを通じて世論にアッピールする方式の運動である。一体どれほどに意味があるかと言えばそれまでだが、街頭行動では署名よりソフトでやりやすい。シールの結果はほぼ80パーセント台が主催者の意図を汲んでくれて、好意を示す。例えば、米軍再編特別措置法、国民投票法、憲法9条。日常から遠く、マス・メディアがその危機の報道を避けて通る主題であるのに、予想以上の反響があることに、幾許かの希望を抱く。勿論、避けて通る通行人の多いことは「関わりをもたない」との、この国の人々の心情であるには違いない。国鉄民営化以来もはや、この国の労働組合はその主力を骨抜きにされ、街頭で政治的テーマを訴える力は無い。やがて市民活動すらもが規制と取り締まりの目にさらされるであろう。立川のようにビラ播きで逮捕者が出る局面はいつ起こるか分からない。国民投票法(問題は、憲法審査会により、近代憲法の原則・国民主権[憲法が権力を規制する]とは逆な、権力擁護の法体系をもった案が密室で作成される事。最低投票率の規定がない。資金に任せた「改憲」派本位の宣伝活動の規制がない。公務員の「憲法」活動の制限などがある)は与党の強行採決で成立した。改憲発議を3年後としているが、現在15歳の少年少女が投票に加わる。とすれば「教育基本法」“改悪”と教育3法案(5/18成立<学校教育法改正。副校長、主幹、指導教諭をおく事可><地方教育行政法改正。文科省の地方への介入><教育免許法改正。10年更新。不適切教員免職>)は効果を発揮するであろう。現在文科省でDVDを作成「(皇国)歴史認識、靖国史観」教育の対策がなされているという(「朝まで生テレビ」2007/5/25 テレビ朝日[日本国憲法 − 護憲・改憲あなたはどうする])。しかし、同番組では改憲「賛成」45%「反対」52%で経過では「反対」が増加しているという。

 なぜ「改憲」か。保守本流の悲願である、と言えばそれまでだが、それをどう見るか。私は「米軍再編」(北朝鮮を含めた中国への戦略)に乗りつつ軍事強化を国是とする「極右ナショナリズム」支配層のなりふり構わない復権であると理解する。アジアへの経済侵略を「不戦憲法」を利用して、米国の軍事傘下で成し遂げてきた経済支配層と右政権とが癒着して、米国一極のグローバリズムの波に乗って一挙に世界金融侵略の戦列に互角参加の政治的・経済的・軍事的、国家「再興」が目論まれている。そのため挙国軍事・経済体制への妨害排除の治安法支配(共謀罪法案)を行い国民大衆に手枷足枷をかけた国家体制を一挙に確立する。改憲はその総仕上げである。

 しかし、この戦略はアジアや世界の民衆に背を向ける事になり、長い将来の日本(民衆とその主権に立つ国家)の「利益」(日本国憲法は世界平和伝統に立つ遺産的価値がもたらす利益)にならない(参照『そして、憲法九条は。』姜尚中・吉田司対談、昌文社2006/2)。このような状況にあって、当面、改憲阻止と平行して「米軍再編」阻止への抵抗運動は当面の課題であると考える(参考、拙稿『求めすすめる通信』第7号)。辺野古で新たなる巨大基地設置を許さないために、一貫して非暴力で行動する住民に、防衛「省」は海上自衛隊・掃海艇「ぶんご」を横須賀から差し向け、威嚇をしている。かつて軍隊の銃口が県民に向られた沖縄戦の本質はいま再現されようとしてる。しかし、5月19日の切迫した困難な阻止行動の中から「基地建設阻止おおかな通信」は海自導入は「国の逆切れ」だ、「人の心を信じ、平和を信じ活動する市民がいる事を否定したいがために暴力を持って臨んでくるのだ。私たちは、愛する日本には暴力に頼る国になって欲しくないということを命を賭けて訴えをしているだけです」と述べている。「9条2項のある憲法」「人の心を信じる憲法」から「民衆に軍隊を向ける戦争憲法」「暴力装置を使う憲法」への転換を何とかして「阻止」しなければ、との思いをこの言葉は促す。何故か。非暴力は命の関係が前提であるが、暴力とは命の抹殺が前提になっている。憲法に則していえば、我々には希望がある。憲法は第二次大戦で失われた命の代償である。この憲法を実現する事で、失われた命との関係を現在化できる。スピリチュアリティー(霊性、これについては別な論考に譲りたい)を、私は「命の関係の現在化」と理解したい。また自由民権運動家の植木枝盛以来、地下水のように受け継がれ、憲法学者・鈴木安蔵らによって獄中に於いてすら熟成されてきた思想が曲折を経て「日本国憲法」に定着した事は、憲法学に定説であり、「押しつけ憲法」は皇国史観に立つ者のプロパガンダである。惑わされてはならない。さらに憲法は世界の人民、民衆、市民の長年の「人権」の戦いの歴史的遺産である。切り倒されても、切り株が芽を吹く様に、われわれの内には受け継がれてきた命が、関係の現在化として生きている。また、我々には、虐げられても、権力や暴力と向き合って戦う世界の民衆との命の繋がりがある。

格差社会

 橋本俊詔(としあき)『格差社会 − 何が問題なのか』(岩波新書 2006)を読んだ。経済企画庁客員研究員、日本銀行客員研究員、現在は京都大学教授、2005年度日本経済学会会長。どちらかといえば、苦しむ側からの声ではない、労働・福祉・医療・教育の現場の叫びではない、経済政策を述べている本。それにも関わらず、使える限りの統計や資料を用いての分析を行って、貧困の深刻さを訴えている。貧困率(その国の平均所得[中位所得]の50パーセント以下の所得しかない人を貧困者と定義している。先進諸国の比較をしている。アメリカが第一位で17パーセント。第二位は日本で15.3パーセント、イギリス、ドイツと続く(2002年)。わたしたちが常識的に思っているより深刻である事が述べられている。税金の累進性が弱まっている。逆に社会保険料などは逆進性が高まり、低所得者層に重くなっている。二つの方向、新自由主義のように自由競争にゆだねて、強い者はますます強くなるのか、人間の平等性の方向へ努力してゆくのか。この二つの調和をどうするのか。① 格差拡大は進行中、貧困者の増加は深刻である。② 日本では経済効率を犠牲にしないで、格差是正はできる。③ 格差是正の基本は、教育・社会保障・雇用の分野にある。具体的施策は可能と述べている。

 朝日新聞特別報道チ−ム編『偽装請負 − 格差社会の労働現場』(朝日新書 2007)。働く者に決定的に不利な法律までも破って、労働者を使い捨てる悪質な企業のやり方を報道が暴いた記録である。御手洗富士夫は日本経済団体連合会の会長である。自らはキャノンの会長でもある。この会社は日本の製造業の模範として現在「勝ち組」企業である。実質雇っているのに雇用契約は結ばないが、形の上で請負契約であるかのように装うのが「偽装契約」で儲けている。読んでいて、ここまでやるかキャノンという思いがする。報道チームは、労働者の命が蹂躙されてい労働現場の事実を暴いている。松下電器産業傘下にグループの実態も暴露される(実態はお読み下さい)。こんなにしてまで日本企業は景気回復だと言っている事実がやりきれない。

 フィリピンでは労働争議に関わった者が何者かに殺されたというニュースを聞いた。人間の最も根源的在り方をしている働く者の主体が社会の邪魔者として抹殺され、働く者が金融資本の手段として人間の命の関係性から外され、単に物化された手段として扱われ、労働の主体として「ものを言う」ときに殺されるという事実に黙っていてよいのか。恐らく、止むに止まれず支援したであろう神父や牧師がフィリピンにはいたのである。彼らがまた暗殺された、という情報はNCC(日本キリスト教協議会)配信のメール・ニュースから入ってきた。いわゆる「社会派」宗教者というイメージではなく、現代の殉教者である。失われた人はもう地上にはいないのに。その人達と命が繋がっているような関係性を覚える。格差社会の絶対的貧困(生活出来ない)が過飽和の状態で引き起こされた出来事であろう。

 日本は相対的貧困率(平均所得との比較)の増加が現実性を持っていて「南北問題」の極貧が社会格差の中心問題であるまでには至っていない。それだけにどのような認識をもち、具体的に、自分の生活とどう関わらせるか、関わり方は多様であるが、多様な中にも自分の精一杯な道を選んで生きたいと思う。幾つかの、労働者の人権侵害の裁判の支援に関わっているが、それも労働者が労働者でなくなっていく現実に「市民」も参加している事になにがしかの意味を覚えるからである。この春の一断面である。

 聖書には「神は世の貧しい人をあえて選んで」(ヤコブの手紙 2:5)という言葉がある。福音書は貧しい者に積極的意味を与えている。

「貧しい人々は、幸いである」(ルカ6:20)<貧しいものが幸いにならないでどうして幸いなどというものが有り得よう>。

「金持ちとラザロ」(ルカ16:19)。それは現状の肯定に立った精神主義・信仰観念への逃げ込みではなく、逆説的な積極性に受け取っていきたい。これを格差社会を身に引き受けつつ、批判的に関わり乗り越えてゆくメッセージにしたい。

環境

 今、地球環境が大きな問題である事は身近に感じられる。鎌倉で雪が降らなかった。先日NHKの「クロ−ズアップ現代」で「待ったなし温暖化対策」の番組で、環境問題の専門家、レスター・ブラウン氏が、自然の復元力は後戻りする力がなくなる所までにきていて、もう時間がない。化石燃料を燃やし続けると地球環境の破壊というより、文明が崩壊する。急がなければならないと叫びに等しい警告をあげていた。地球環境の汚染の問題は、オゾン層の破壊、地球の温暖化、酸性雨、海洋汚染、原発問題、第三世界の砂漠化、生態系の破壊に広がっている。近代主義の人間の自然支配の思想の背景には創世記1章28節「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」の神学的理解が関わっていたと指摘される。これを修正したのはつい最近、1990年韓国で開かれた世界教会協議会(WCC)のテーマ「正義、平和、被造物の保全」(Justice, Peace, Integrity of Creation「JPIC」(ジェイピック)会議である。

 レヴィ・オラシオン(フィリピンの神学者)は言う。「現代において私たちは、被造物が貪欲と支配と横暴な勢力の支配下に置かれていることを知っている。地球は次第に生命ではなく死をもたらす、産業公害、毒物を使用する農業体系、生態系を変えてしまう発電設備、森林破壊、継続する核実験によって支配されてきている。世界における人間の在り方が他者の安全よりも、自分の安全を追求してゆく時、社会を一層権力の奪い合いへと推し進めることは明白である。……人類のわがままでゆがんだ自由の行使は地球を破壊的で惨めな状態にみちびいた。……それは被造物に深い傷を負わせている。それが(パウロの言う)被造物物全体がうめいていることである……」。

 これはフィリピンが先進諸国によって収奪され、民衆が戦い、苦しんでいることの中から語られた言葉だ。

 彼はまた言う。

「『正義・平和・被造物の保全』のための戦いはとてつもなく大きい企てである。……それは人を拘束し、脅迫し、無力化し、殺してしまう権力者たちに対する戦いであり……このような企てを前にして、私たちは弱く、困惑しており、どのように祈るかすらも知らない。しかし、聖霊は私たちの助けとなって、私たちの痛みと苦しみを用い、私たちのために、神に執り成しをして下さる(ロマ8:26)。」

 今日における聖霊の働きに付いて深い洞察を与える。環境問題も権力との関わりの問題である。

 自らが「権力」の補完をしない生活スタイルを模索し続けながら、この春から夏を、日々、祈りつつ生きてゆきたいと思っている。近況報告である。

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