2006.9.10、明治学院教会(44)、聖霊降臨節 ⑮
(単立明治学院教会 主任牧師1年目、牧会48年、健作さん73歳)
フィリピの信徒への手紙 1:12-18
1.この手紙は「獄中書簡」と言われています。
パウロは、ユダヤ教からキリスト教徒に回心して、「福音」を宣べ伝える伝道者になりました。
3回大きな伝道旅行をします。その終わりに、パウロに反対する律法主義者たちの扇動によって訴えられて、以来、獄に囚われの身となります。
しかし、獄中で「神に繋がる生き方」をはっきりさせ、生と死を含めた、彼の価値観の露に語ります。
2.12節には「わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい」とあります。
まず、自分の生(運命)を彼はもっぱら宣教の観点から理解します。
価値基準の根底が転換しています。自分個人の地上生活の安全や幸福、自分が受ける世俗的利益や損益は、もはや彼にとっては相対化されています。
彼は同じ福音に接する「兄弟たち」にも、彼らが自分と同じ判断を持つことを期待します。「知ってほしい」は、パウロが牢獄を福音の停滞と考えたフィリピの信徒への思いを込めた言葉です。
”兄弟たち、わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい。”(フィリピの信徒への手紙 1:12、新共同訳)
「かえって」は、人間的に見れば全く絶望的な状況において、それがまさに神の業であるが故に実現する「逆説」。
3.福音の前進の具体化(13−14節)。
① パウロの入獄で、価値観が変わった人が出た。
② ますます確信を得て、多くの活動(宣教活動)をした。
15節。「善意」は、パウロの入獄を、福音の弁明・神の計画と理解した人のこと。
”キリストを宣べ伝えるのに、ねたみと争いの念にかられてする者もいれば、善意でする者もいます。”(フィリピ 1:15、新共同訳)
16節「愛の動機」は、宣教の業に召されている者が持つ、いわば協働者としての愛。キリストに媒介されて成り立つ愛。パウロに呼応した宣教。
”一方は、わたしが福音を弁明するために捕らわれているのを知って、愛の動機からそうするのですが、”(フィリピ 1:16、新共同訳)
17節。パウロの反対者の宣教の動機。パウロの入獄を契機に、いわば失地回復を志した人々。
”他方は、自分の利益を求めて、獄中のわたしをいっそう苦しめようという不純な動機からキリストを告げ知らせているのです。”(フィリピ 1:17、新共同訳)
しかし、パウロは個人的利害や感情よりも「福音の前進」という見地から全体を理解した。
見方を変えれば、神の全体的働きに対するパウロの信頼の表白とも取れよう。
5.青木優さん(1924-)岡山大学医学部を卒業し、インターンの時に失明。絶望。福音による希望に生き、牧師の道を歩む。東京神学大学卒業。
岩国東教会(4年)、小郡教会(26年)、調布柴崎教会(20年)で50年の牧会。
障害者差別の多いキリスト教会で差別と闘う。
「日本基督教団 障碍者差別問題委員長」「日本盲人伝道協議会議長」を務める。
今までに全国、教会、学校、幼稚園、保育所、市民グループで1000回に近い講演活動。
「東京障碍者問題を考える会」も記録は3冊の本になっている。
「障碍を負う人々・子ども達とともに歩む」ネットワーク代表。
機関紙『共に歩む』(2006.8、No.87)。
著書『行く先を知らないで』(日本基督教団出版局 1975)
青木道代と共著『障碍を生きる意味 ー 共に歩む』(岩波書店 1997)
道代さんの絵本『ペカンの木 のぼったよ』(福音館書店 2004)
聖餐式のエピソードに「福音の前進」を思う。
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