私は手を下しません(2006 礼拝説教・サムエル記)

2006.6.18、明治学院教会(36)、聖霊降臨節 ③

(単立明治学院教会 主任牧師として3ヶ月、
牧会48年、健作さん72歳)

サムエル記上 24:1-16

1.21章から27章までは、ダビデへの殺意を実行しようとするサウル王の執拗な追跡の物語。

 ダビデの必死の逃避行の中での奇跡的な和解が24章。

2.洞穴の奥での出来事。

 ダビデが潜んでいた洞穴に、サウルが一人で用足しに入る。

 ダビデの従者は今こそ復讐の機会だと殺害を進言する。

 しかし、ダビデは「主は決して許されない。彼は主が油を注がれた方なのだ」と王の着物の裾を密かに切って、復讐できた自分の立場を確保して、サウル王にそのことを告げる。

”「わたしの主君であり、主が油を注がれた方に、わたしが手をかけ、このようなことをするのを、主は決して許されない。彼は主が油を注がれた方なのだ。」”(サムエル記上 24:7、新共同訳)

”主があなたとわたしの間を裁き、わたしのために主があなたに報復されますように。わたしは手を下しはしません。”(サムエル記上 24:13、新共同訳)

3.復讐の殺意からの自由を獲得したダビデの背景。

① 地方祭司アヒメレクの援助。敵の王アキシの前で狂態を演じて難を逃れる(21章)。

② 抑圧された民衆に助けられる。モアブ王の援助(22章)。

③ ケイラの住民を味方に。神に頼れ、とのヨナタンの励まし(23章)。

4.サウル王は声をあげて泣き、ダビデに詫びる。劇的な場面。

”サウルは言った。「わが子ダビデよ、これはお前の声か。」サウルは声をあげて泣き、ダビデに言った。「お前はわたしより正しい。お前はわたしに善意をもって対し、わたしはお前に悪意をもって対した。お前はわたしに善意を尽くしていたことを今日示してくれた。主がわたしをお前の手に引き渡されのに、お前はわたしを殺さなかった。自分の敵に出会い、その敵を無事に去らせる者があろうか。今日のお前のふるまいに対して、主がお前に恵みをもって報いてくださるだろう。今わたしは悟った。お前は必ず王となり、イスラエル王国はお前の手によって確立される。”(サムエル記上 24:17b-21、新共同訳)

 申命記史家はこの光の部分を大切にする。

5.「ふざけるな朝鮮人。ぶっ殺すぞ」の電話(「学長声明」を出した当時の学長・森井眞(まこと)氏への脅迫電話の一言、『ドキュメント 明治学院大学 1989 学問の自由と天皇制』岩波書店編集部編 所載)。

 昭和天皇の死去「Xデー」を控え、明治学院大学は「天皇問題を考える1週間」の行事を実施した。

 天皇制が侵略戦争を推進したことへの反省であった。

 これは、根底では、今アメリカが採っている他民族への軍事力の一極支配の根底にあるものと相通じる(サイト記:2001年の同時多発テロ後のアフガニスタン紛争、2003年からのイラク戦争におけるアメリカによる軍事侵攻を指してのことか)。

 どんなに合理化され、論理化されても、軍事力や軍隊は極限に「殺す論理」を潜ませる。

6.アイヌはチャランケ(談判)を標榜して、徹底的に話をするという。

 それは、暴力を超えるテクニックだという。

 そこに到達する日を待ち望みたい。


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