『歴史に生きる教会』− 教団「戦争責任告白」をめぐって(2005 鎌倉恩寵)

2005.2.20 礼拝(説教「種を蒔く」)後、午後のお話し 於鎌倉恩寵教会 

(日本基督教団教師、健作さん71歳)

マルコ 10章35節−45節

1.「第二次大戦下における日本基督教団の責任に付いての告白」(以下「戦責告白」)が公にされるまで

1−1.教団の成立(1941)以来曖昧にされてきた。
1−2.1950年、朝鮮戦争を契機に「キリスト者平和の会」結成。1951年「平和に関する訴え」(第二次大戦下のキリスト者の犯した過ちを……悔いる)。
1−3.1966年8月29-9月3日、第17回夏期教師講習会、若手教職から「戦時下の教団の戦争責任を明らかにすべき……沖縄キリスト教団との合同を推進すべき」という意見があった。第14回総会に向けて建議しようということになり、講習会運営委員・渡辺泉、岩井健作、山岡善郎、大塩清之助、内藤協及び鈴木正久にゆだねた。同1966年10月建議8号(戦責告白を公にする件)、建議9号(沖縄教団との関係につき研究開始)が共に常議員会付託となる。
1−4.1967年、第3回常議員会にて鈴木正久議長名の「戦責告白」を賛成19・反対2で可決。1967年3月26日、復活節に発表。韓国、台湾、フィリピンなどアジアの諸教会から積極的評価あり。「教団信仰告白」の非状況性を補うものと若手教職・信徒から支持。 

2.反発と支持

2−1.「教団の現状を憂い鈴木議長に要望する書」(1967年5月、湯川文人以下26名)等の論点(戦時下の教会は政府の圧迫で苦闘した。当時の歴史意識で考えよ。一般社会の政治潮流に乗じ過ぎ。太平洋戦争の真相は分析が必要。教団成立が過ちとは今になって無責任。戦争の前提となる国家の過度の単純化を慎め。教会の責任問題は福音の保持のみ。第3回総会宣言文への議長の態度が悪い。手続きが悪い)。
2−2.社会委員長会議(1967年7月13日)「日本基督教団社会活動基本方針」(14回総会可決。教会がこの世の支配に服した過ちを悔い改め、置かれた状況で信仰の告白がなされなかったことを自覚しないと、今日における使命に於て再び過ちを犯す)。

3.5人委員会

 常議員会は「5人委員会(北森嘉蔵、秋山憲兄、菊池吉弥、木村友己、佐伯検)」を設置、「賛否両論の善後処置、反対者を含め牧会的配慮の必要」に当たらせる。
3−1.「5人委員会答申」(1967年9月11日)(「信仰告白と「戦責告白文」との関係を、聖書と宗教改革との伝統に従い「信仰と行為」と理解する。告白文が扱っているのは「行為(生き方)」の問題。福音主義教会は「信仰」以外の問題で分裂することは許されない。教団成立は「神の摂理(あがないとしての罪の赦し)」。教団成立の歴史的現実は宗教団体法を「契機」としている。「過ちがあったとすれば信仰告白の制定が未解決であったこと」。「戦争協力はキリストの預言者・王・祭司の3職位から見る必要あり。国家への協力は祭司職からの「とりなしの連帯化」であり、それはまたただちに預言者的見張りの役目へ展開される、この見張りに怠りがあった」「『憂慮すべき方向に過ちを繰り返さない』は教会の政治的一元化ではないかとの問いに対しては「地の塩」として基本の「平和と民主主義」で一致、複数の諸方策には「審議会」方式で超える。」「議長の言説。慎重を要望する」)。
3−2.その後、幾つかの問いに「委員長の総括的お答え」(1968年2月3日)が出る。竹中正夫氏の「社会行動派」「教会主義派」の指摘(キリ新)は重大であるから、教団はこの問題を正しく解決しなければならない等。

4.まとめ

 教団は、戦時下の合同時「教義の大要」で誤りなく教義的信仰を掲げ、同時に「皇運を扶翼する」と戦争協力をした。やっとその反省である「戦責告白」を表明した。「戦争協力の罪にもかかわらず、教団の成立と存続に働く神の摂理を告白」さらにその「戦争協力を過ちと罪として懺悔告白」した。これは「歴史に生きる教会」への微かな接点であった。しかし、5人委員会は「信仰告白」においては微動だにしない教会を是認して「戦責告白」を骨抜きにした。そして現在の教団執行部は、歴史的には教会政治的靭帯でしかなかった「1954年 教団信仰告白」を制定50年として総会で掲げ、「歴史に生きない教会」の道ををまっしぐらに走っている。

午前中の礼拝説教
種を蒔く(2005 礼拝説教・鎌倉恩寵)

講演記録:教会の戦争責任とわたし(2005 横浜港南台)