切なる叫び (1)(2004 兵庫教会・礼拝説教)

2004年9月5日 兵庫教会礼拝説教
2005年版『地の基震い動く時』所収

マルコ福音書 10章46節-52節

信仰告白定式とマルコの福音書

 私たちは「新共同訳聖書」を用いております。昔の聖書、特に文語訳聖書に馴染んでおられた方は、新共同訳には文章のメリハリがなくていかん、などとおっしゃられます。そう言えばそうなのですが、新共同訳にも良いところがたくさんあります。その一つは、新約聖書の福音書のそれぞれの記事に、他の福音書に出てくる同じ物語の箇所が記してあることです。

例えば、先ほどお読みいただいたマルコ福音書10章46節以下の「盲人バルティマイをいやす」という小見出しのある物語ですが、小さく括弧の中に書いてあるように、マタイ20章29-34節、ルカ18章35-43節という箇所を開けますと、ほぼ同じ物語が記されています。「ほぼ」と申し上げたのは、細かいところで違うのです。例えば、マタイやルカでは、バルティマイという盲人の名前は出てまいりません。この微妙に違うところに目を留めて聖書を読みますと、聖書というものの奥深いところが見えてきます。

聖書の読み方は色々あります。どの入り口から入っても良いのですが、新約聖書の「福音書」をまず読むことを私はお勧めしています。その中でも、マルコ福音書からお読みになるのが良いのではないかと思っています。それは、イエスという方がどのような生き方をされたか、それを当時の人はどんなふうに感じていたのかが、伝わってくる書物だからです。

 マルコ福音書には、イエスが救い主(救い主のことをギリシャ語でキリストと申します)、イエスがキリスト、であるとはどういうことかが、独特の方法で書かれています。

 私は、最近、代務者の教会を辞しましてから、首都圏のいろいろな教会の礼拝の応援にお招きを受けることがあります。多くの教会が礼拝順序の中に「使徒信条」の唱和・告白を入れています。兵庫教会では、それは入っておりませんし、神戸教会もそうでした。それにはそれなりの歴史的事情があるのだと思います。その是非は別にして「使徒信条」を唱和する時、いつも気になることがあります。それは「主は、聖霊によりてやどり、処女マリアより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、死にて葬られ、陰府に下り」というところです。生まれて死ぬことは言われているのですが、その間の、どのように生きたかというイエスの生涯がすっかり抜けています。 

 実は、イエスが十字架に刑死して、弟子たちがイエスの死を受け入れる悲嘆、悲しみの受容の営みから、イエスが復活したという信仰が生まれ、原始キリスト教が起きて来ますが、「死からの復活」が強調され、イエスの生涯が抜け落ちてしまいます。その大変良い例があります。新約聖書「ローマの信徒への手紙」 1章2-4節をお開けになってください。

 「この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、私たちの主イエス・キリストです」

 これはごく初期の教会の「信仰告白」の定式です。使徒信条はこのようなつながりの上にあります。初代の教会は、このような定式を信じていたのです。その頃から20年も経ってマルコ福音書は書かれました。マルコの著者は「神の子イエス・キリストの福音」をそのような仕方とは別の仕方で述べました。それが「福音書」という文学形式です。その当時、民衆の間に伝承として語り伝えられていたイエスの物語をたくさん集めてきて、自分でも解説を付けてまとめたのです。だからマルコにや奇跡物語が多いのです。

なぜかというと、このような病気が治ったという驚くべき話は、人から人へと噂として語り伝えられるものです。福音とは何かということを、これこれです、と要約してしまわないで、具体的な一つ一つの出来事に託したのです。マルコの「福音」は、この福音書を初めから終わりまで読まないと伝わってこないのです。

 最近私は、マルコ福音書を改めて読むたびに、これはなんという激しい書物だろうという思いを強くしています。マルコ福音書は、初期教会が福音というものを「信仰箇条」にまとめてしまったことに対抗して、あるいは批判して書かれた、第1級の書物です。新しい文学類型を用いて書かれた書物です。
 
 イエスにより病める人々が癒された、という奇跡物語をわざわざたくさん集めてきているので、現代人にはちょっとつまずきなのですが、当時これを読んだ人々は、ものすごく新鮮だったのです。この書物は大袈裟に言うと、当時の既成宗教を根底から批判するイエスの挑戦的言動をたくさん伝えています。そしてイエスが十字架の死に向かっていく緊迫さを伝える文書です。そのことが改めて、感じられました。

(サイト記)関連「マルコのメッセージを捉えるために

盲人バルティマイをいやす

 さて、マルコ10章46節以下の「盲人バルティマイをいやす」物語は、マルコ福音書全体の分水嶺に位置するような物語です。マルコの前半は当時の宗教家たち、つまり律法学者、ファリサイ派の人々、そしてイエスの故郷の人々、さらにはイエスの弟子になって従ってきた人々までが、イエスの心とは違って、頑迷だということが、これでもかこれでもかと記されています。

 「救い」の出来事がよくわからない人々を浮き彫りにしています。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である」(2:17)とイエスは語ります。自分たちが本当は病人に過ぎないのだ、ということにすら気がついていないで、まるでこの世界の裁判官を務めているように振る舞うファリサイ派の宗教的指導者に、挑戦的に、しかも痛烈な批判とアイロニーを持って語っているのが、マルコ前半の物語です。「福音は奇跡物語に乗って」という思いがするほど奇跡物語が語られます。

 それに加えて、マルコは10章に入ると、自分たちの栄達しか考えていない弟子たちの姿を描きます。今日の物語に出てくる「ヤコブとヨハネの願い」の話です。そうして11章からは、イエス受難の地、エルサレムに向かいます。その分水嶺にあるのが今日の物語です。

 さて、この物語には「バルティマイ」という個人名が語られます。マタイとルカの物語と決定的に違うところです。マタイとルカは、名前を取ってしまって、「盲人の治癒物語」としてしまっています。一般化、抽象化が起きています。もはや、バルティマイという人のかけがえのない人生の躍動は出てきません。
 物語は、イエスが「エリコを出てエルサレムに向かう途上」です。エルサレムに向かうとは、この世の頑なな勢力と真っ向からぶつかることです。受難予告のように、イエスの「神の国」を宣べ伝える使命にとって避けがたいことでした。そのことがいかに困難なことかは、一連の受難物語の中のゲッセマネの物語に余すところなく語られています。マルコは、バルティマイの物語を、ペテロをはじめとする弟子たちの無知、無理解、愚かな自己主張と、極めて鮮やかに対比させます。

 一方では、イエスの弟子だというのに栄達が求められています。他方、バルティマイは、一切の栄達の道を断ち切られ、差別と困窮の中にある人です。人並みに目が見えたら「俺だって」という気持ちをどんなに抱いていたでしょうか。ただひたすら見えることを求めます。
 この「見えること」に、マルコは「信仰的認識の意味」を含ませています。これは弟子には見えなかったものです。イエスのもたらす命が見えない、という弟子たちの「盲目」を超えるものです。

 この物語は、《実際には目が見えるが、心は「盲目」な人》と、《実際には目が見えなくて不自由をしているけれども、その人の方が、神と向かい合うことにおいて、つまり信仰の問題では、明るくて、決して「盲目」ではない人》のことの対比が述べられます。後者が弟子たちを超えていることが述べられています。

 イエスのことを聞き知っていた彼は、ひらすら叫びます。真実な叫びというものが、ここでは常識的な群衆の声にかき消されてしまいます。「多くの人が彼を叱りつけて黙らせようとした」とあります。「ダビデの子から救世主メシア」が出ることは、当時のイスラエルの大方の人の期待であり、常識的信念でありました。しかし、47節にあるように「救い主がイエスだ」というのは危険思想なのです。「ダビデの子イエスよ」と呼ぶのは、「メシア、救い主がイエスだ」という告白でした。それは危険思想なのです。だから人々は盲人を黙らせようとしたのです。

 しかし、イエスは、たった一人の声、叫びを聞き留められます。切なる叫びは「人格的」です。「人格的」とは、人間を魂と魂の関係で繋げるということです。「彼を呼べ」と、彼の「叫び」を聞き逃しません。「彼を呼べ」、この言葉は、イエスの断固たる意志を伝えています。エルサレムに向かう意志、「救済」の意志です。十字架の苦難に向かう意志です。神が救いをもたらす強い意志です。神とは何か、それは差別と困窮にある者たちへの「強い意志」だ、と言えるでしょう。

 ここではそのことが語られています。そこには、一人の人に(大勢の常識には反して)救いをもたらす出来事が告げ知らされています。


▶️ 切なる叫び(2)

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