2004年5月30日 早稲田教会 ペンテコステ礼拝説教
2005年版『地の基震い動く時』所収
ヨハネ福音書 12章20節-26節
この度は、上林先生から宿題をいただきました。『早稲田教会50年史』と『早稲田教会50年史続編』を読むように、という宿題です。一読したに過ぎないのですが、今まで、西早稲田2丁目3-18の「日本キリスト教会館」には、日本基督教団の委員などを務めていて、過去私もよく通っていたのに、その隣にある早稲田教会のことは、上林牧師がおられることぐらいで、何一つ知らなかったことを思い知らされました。この教会が、どんなに自由で、開放的で、闊達であるかを知らされ、本当に感謝しています。早稲田奉仕園との関係を大切にしつつ、学生の街早稲田という地域性と向かい合い、また国際交流、教職の往来の豊かさを育みつつ、戦争責任告白の実質化に取り組みながら、しなやかな教会に向かって励んでこられたことを学びました。
(サイト補足)日本キリスト教団 早稲田教会(外部リンク)
それを学びながら、反面、私が今まで主任担任教師を務めさせていただいた、三つの教会の個性を改めて自覚しました。
小さな幼稚園がある教会
私がいた教会と、早稲田教会とが決定的に異なるのは、私の関わったそれらの教会は、三つとも宗教法人の小さな幼稚園がある教会でした。
私は一度は幼稚園のない教会での牧会をしてみたい、とずっと思っていたのですが、神様はその願いを聴きあげてはくださいませんでした。私は、ある時期から居直りまして、「毒くらわば皿まで」と、いわゆる「学校法人」でない教会の幼稚園(102条園)とは何かに、かなり首を突っ込んできました。また、子どもが友達になってくれるような心を持ちたいと、自分にとってはいわば、一番「受苦的」、つまり負うべき十字架を努力してきました。
しかし、結果は実に多くのことを、その子ども達から教えられました。朝の園長の仕事は、門のところに立って、子どもが登園してくるのを出迎えることでした。朝、お家の人や子どもと出会う経験そのものは、本当に驚くべき経験でした。その一つ、「言葉」というものについて教えられました。
例えば、お母さんが子どもを送ってきて「いってらっしゃい」と言って門から園の中へ子どもを送り込みます。園庭を横切って保育室に向かっていきます。見ていると、お母さんの言葉が子どもの背中にくっついて、後ろから押し出しているように感じられます。保育室で「○○ちゃん、おはよう。寒かったでしょう」などと担任に声をかけられると、やっとお母さんの言葉がとれて、担任との関係に入っていくように思えます。途中で横から園長の私が「おはよう」と声をかけても、まっすぐに前に見開いた目は、担任に向かっていて、こちらを見向きもしないことは、お母さんの言葉の力が働いているからだ、としか思えません。こういう言葉は、人格から人格に力で結びつけるように働くから、いわば「人格言語」だな、と自分で分類して見ました。
昔、トーレフ・ボーマンという人の『ヘブル人とギリシャ人の思惟』(植田茂雄訳、新教出版社 1957)という本を読んだことを思い出しました。ヘブル語で「言葉」は「ダーバール」というのだそうですが、その根本的意味は「後ろにあって、前に追いやる」意であるというものです。なるほど、と合点しました。
人格言語と説明言語
私も、知らないうちに、顔を合わせた人格の関係でなければ使えない言葉をふと使っていることがあることも思い出しました。
例えば、ある時、自殺願望の女子青年の相手を長いことしたことがあります。それには、それだけの経過と背景があってのことなのですが、それは省略します。その日も、彼女は母親と共に面接にやってきました。会話は「死にたい…」を堂々巡りしました。ふと、「死にたければ、死んでもいいのですよ…」と私は綿々と続く会話の中で言いました。冒険でした。
その次の教会の礼拝に彼女が顔を見せるまで、ハラハラして寝られない夜を過ごしました。もし、私の言葉を真に受けて、自殺してしまったら、これは本当に取り返しがつかないことになるからです。しかし、結果は、信頼の言葉として受け取ってくれました。私から言えば、「人は『神』によって生かされている、死ななくても良い」ということに気がついて欲しい、という切なる願いや祈りがあるのですが、それを伝える手段として、言語手段としては、極めて逆説的な方法を用いてしまったわけです。「人格言語」が力を持ったと、本当に安堵しました。
それとは全く異なった言葉のやり取りがあります。母親が園の門前で子どもを投げ込むようにして帰ってしまった後、なんとも涙がこぼれそうな顔をして園長の顔を見上げ、話しかけてきた子どもが、こんな訴えをしました。
「あのね、きのうの夜、パパとママは喧嘩したの。とても悲しいの」
「そう。悲しかったね。でも、きっと仲直りするよ」
「うん」
物事を説明し、それに説明で答える言葉のやり取りです。私には「仲直りする」との確信がありましたし、それを説明できるという思いもありました。説明で物事を伝えるのは「記述言語」とか「説明言語」「叙述言語」とでも言うのでしょうか。日常の伝達はほとんどそのような形をとっています。しかし、記述とか叙述による語り方が「思い」を超えて、相手をその説明言語の中に囲い込むことになります。ともすると、そのような言語は「教条主義者」「観念主義者」「信条主義者」「原理主義者」を生み出す危険があります。
現在、世界最大の「原理主義者」はアメリカ大統領ブッシュであるように思えてなりません。「民主主義は善である」「テロは悪である」と言う「信条」を、一切の状況とか歴史を抜きにして、思い込んでいるからです。私は、日本基督教団にも、一切の状況とか歴史を抜きにして「教団信仰告白」が教会の共同性を支える唯一の原理である、と声高に強調される方々がおられるのを憂うるものの一人です。
実は、『早稲田教会50年史』を読んでいて、「教団信仰告白」の位置付けはどうなっているのか、気になりました。資料として『続編』に「日本基督教団信仰告白」と「同、教憲」が載せてあります。他方、植松健一さんがお書きになった「早稲田教会50年の歩み」にはこう書かれています。「なお、1954(昭和29)年に、日本基督教団『信仰告白』が制定されたとき、本教会は教会員にそれを配ったが、この時以外に、この教団「信仰告白」に関わったことはない」(p.35)とあるのを読んで、これは凄いな、と思いました。
早稲田教会は「記述言語」「説明言語」が中心の教会ではないのです。「こんな自由な発言のできる教会はめずらしい」は、『続編』の飯田房夫さん「教会機関紙- 広報活動の視点から」の1966年の記録の中の言葉です。「会報」は「開放」的です。
イメージを呼び覚ます言語
ある秋の日に、いつものように門に立っていました。楽しそうに登園してきた女の子が、「ハイ、園長先生、おみやげ」と言って、一枚の葉っぱを手のひらに置いていきました。「すずかけ」の葉でした。緑と黄色と紅葉した赤い部分が入り混じった綺麗な葉っぱです。たった一枚の葉っぱは、私に次々と色々なことを想像させました。そのイメージは私の中でどんどん広がっていきました。
秋の葉っぱを描いたことを思い出しました。こんな色はなかなか出せないなぁ、苦労して絵の具を混ぜ合わせている自分をイメージしました。
この葉っぱは、神戸の下山手四丁目のあの「すずかけ」だろうか。もう50年以上前、戦争中の神戸空襲の時、あのあたりは焼け野原になった。街路樹の「すずかけ」も南側に面した部分が黒焦げに焼けたが、不思議と戦後、炭になった部分を包むように、木は生命を取り戻し、成長した。街の人はあまり気づいていないようですが、私は時々何本か残っている大木の街路樹の、幹の傷跡に手を触れて、戦禍を偲ぶことがありました。それは阪神淡路大震災の災害と重なります。小さな女の子が、その木の命に触れている。なんと美しい風景だろう、そんなことを想像しました。
それよりも、その子が、一枚の葉っぱに美しさを覚える感性を育てた母親の感性の豊かさを想像しました。「すずかけ」はそれらのことを想像させ、色々なイメージを呼び起こさせるゆえに「イメージ」を呼び覚ます「言語」と言えるだろう。あるいは「しるし」「象徴」とも言えるでしょう。今仮に、イメージを呼び覚ます働きを、広く言語活動、言語作用と捉えて、「イメージ言語」と言うことが許されるならば、一枚の葉っぱは「イメージ言語」です。『葉っぱのフレディー』はそんなイメージを物語にしたものだと思います。
「空の鳥・野の花を見よ」は、イエスの山上の説教の中の最も美しい言葉です。なぜ、美しいのか。それはイメージを呼び覚ます言語だからです。特にヨハネ福音書では、象徴語句、象徴説話というものがたくさんあります。「私は命のパンである」に始まり、「私は良い羊飼い」「私はまことの葡萄の木」「神の子羊」「命に至る水」「私は道である」。今日はペンテコステですが、ヨハネは「霊」を「風は思いのままに吹く」と言っています。これらは単なる説明のための例とか、譬え、言説ではありません。それ以上に「メタファー(隠喩)」として語られています。
メタファーは、多彩な象徴を駆使した文学的虚構によって古い現実を新しく発見し直させる効果をもたらしています。人間の認識と行動は、様々な象徴とその解釈によって深いところで媒介されて豊かになるものです。「十字架の死、復活、愛、真理」と言った救いの原事実は象徴によって指し示されるものです。