イエスと十二人の弟子たち(2004 川和・礼拝説教)

2004.3.14、川和教会礼拝説教(要旨)

(川和教会代務牧師 健作さん70歳)

マルコ福音書 3章13−19節

1.ここはイエスが弟子を選ばれたという物語です。素読して二つ気がかりなところがあります。

「十二人を任命された」という句が二度も出てくることと、弟子のリストの一番最後に「このユダがイエスを裏切ったのである」というマイナスの話があることです。

 前者は、二つの資料が用いられたこと、後者は、この福音書には「弟子たちのイエスへの無理解」というモチーフがあって、その流れのなかのお話だと考えられます。

 マルコ福音書には、イエスを取り囲む人の流れを二つ感じます。
 だんだんと大きくなっていく流れと、人の関係が絞り込まれていく流れです。
「任命」は前者。「ユダの裏切り」は後者です。

2.「裏切った」という動詞ですが、「渡す、引き渡す」という意味で、その動詞の時制(時の性質)は、ギリシャ語ではアオリスト(不定過去時称)といって、起こってしまった過去を述べる過去形です。

 これから、弟子が活躍して、イエスの「神の国」の宣教活動が発展していくような物語 で、中心的な弟子の中から裏切り者が出たという事実を含んで、なおイエスの宣教の物語は進んでいきます。

3.「任命」はごく平凡な言葉、ポイエオーです。英語でいえば “Make/Do” です。「つくる、こしらえる、たてる、原因となる、実を結ぶ、備える、任命する、行う、為す、行動する」などと訳されています。行為者の主導的立場を強調する言葉です。いわば、主語になる者を強調しています。弟子を選び任命し、あるいは使徒と名づけるのは「イエスご自身だ」ということの強調です。つまり弟子の資格は問題にはなっていません。イエスに任命を受けて宣教に派遣される者は、無理解を含めて選ばれ、また遣わされているということ。ユダは極端だとしても、ペテロも同じ穴のムジナです。

4.私はここで、出版に生涯を賭けてきたある出版人の言葉を思い出します。

「つくられた本の半分しか売れない。売れた本の半分しか読まれない。読まれた本の半分しか理解されない。理解された本の半分は誤解されている」

 出版人は、真理を抱いて、孤独なのだなぁ、と思います。
 この名言は「福音館書店」の会長・松井直さんの言葉です。
 出版は無駄を含めてあるのだ。これは イエスの弟子たちの物語にとどこか重なり合っています。

5.そして「教会」というものにも、自分を含めて考える時、それは「イエスの12人の弟子」の系譜だと、つくづくお思いになりませんか。