(配布されたレジュメ版)2003.5.25、三田教会(兵庫)
(書籍版:2005年版『地の基震い動く時』所収)
(川和教会代務牧師、69歳)
ペトロ第一 4:7-11
箴言 10:12
1.教会の掲示板に書かれた聖句「愛は多くに罪を覆う」の不思議な力。
2.マーガレット・F・パワーズ著『あしあと』(太平洋放送協会発行 1996年)
ある夜、私は夢を見た。 わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。 暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。 どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとがのこされていた。 一つはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。 これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、 わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。 そこには一つのあしあとしかなかった。 わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。 このことがいつもわたしの心を乱していたので、 わたしはその悩みについて主にお尋ねした。 「主よ、わたしがあなたに従うと決心したとき、 あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、 わたしと語り合ってくださると約束されました。 それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、ひとりのあしあとしかなかったのです。 いちばんあなたを必要としたときに、 あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのですか、 わたしにはわかりません。」 主は、ささやかれた。 「わたしの大切な子よ。 わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。 ましてや、苦しみや試みの時に。 あしあとがひとつだったとき、 わたしはあなたを背負って歩いていた。」
3.ペトロ第一の手紙は、紀元1世紀の終りごろ、小アジアで書かれた手紙。
社会の少数派であったキリスト者は、異教徒たちに囲まれて、価値観の違いから、いわれのない中傷・不信・差別・敵対・憎悪などに囲まれていた。やがて、それは迫害に繋がっていった。そんな中で試練を神の恵みとして生きること、忍耐を持って生きることが、この書簡のテーマであった。
7節の「万物の終わりが迫っています。」は、終末的緊張感をにじませている。だからこそ、励ましあう仲間同志の、お互いに強い結び付きが必要だった。「思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい」と奬められ、8節は「何よりも心を込めて愛し合いなさい」と奬められる。
「愛は多くの罪を覆う」という神の赦しは、身近な倫理へと展開する。この言葉の背景にある箴言10章12節「愛はすべての罪を覆う」は、愛の積極性が「憎しみ」を凌駕するものと描かれている。
執り成される愛、赦される愛を信じつつ、執り成す愛、赦す愛に生かされる、この両面を深めていく所に、聖書の愛による生き方がある。
4.窪島誠一郎著『「無言館」ものがたり』(講談社1998)のこと。
少年時代、窪島さんに注がれた母の愛が後々どんなに大きな実を結んでいったことか。彼が建設に携わった信州上田の戦没画学生慰霊美術館「無言館」は、歴史の中で反戦平和の大きな訴えをしている。母の愛が、彼の罪を覆い(あたかもキリストの愛の反映のように)、人間への愛を輝かしている。

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