愛されることから愛することへ ①(2003 礼拝説教)

2003年5月25日 日本基督教団 三田教会 礼拝説教
関連:茅ヶ崎恵泉教会 2003.5.18、西宮門戸教会 2003.3.16、神戸教会 2001.9.2
(2005年版『地の基震い動く時』所収)

ペテロ第一の手紙 4:7-11
箴言 10:12

「愛は多くの罪を覆う」

 今日お読みいただいたペテロ第一の手紙の中に「愛は多くの罪を覆う」という言葉があります。いい言葉だな、と思っています。神戸教会にいた時、それを表の通りの掲示板に、墨痕鮮やかとまではいきませんが、筆でしたためて掲示しておきました。そうしましたら、それを見て礼拝に来られた若い女性の方がおられました。
 大学生だとお見受け致しましたが、初めて来られた時、帰りがけに入り口で、ここをよく通るのだけれども、いつも掲示板を眺めていて、心に残る言葉が記されているので感心していましたが、今度のあの言葉にとても慰められたので、引き入れられるようにして礼拝に来てしまいました、とご挨拶がありました。何回か忠実に来られてから、ある日曜日、一度会って話をしたいというので、その時間を作りました。

 お話をお聞きすると、礼拝に来させてもらってお世話になりました、実は自分のことをいつも思ってくれている叔母がいるので、その人と一緒に礼拝を守ることにしました、とのこと。その叔母は今まで知らなかったが、カトリック教会に行っているので、その叔母の教会に行くので「さようなら」のご挨拶をしたかった、とのことでした。どうぞそちらの教会で信仰を深めてくださいと申し上げました。別れ際に、どうして「愛は多くの罪を覆う」という言葉が心に沁みたのかという話をしていかれました。

 自分は「中絶」をしてしまって、とても苦しんでいた、誰にも話せなかったのだけれど、話さないままに、その苦しみをそうっと包んでくれて、見守ってくれたのが叔母でした。そして教会に来てみたら「愛」というのは、神の愛、あるいはキリストの愛だということがわかってきました。また、叔母の愛もその愛のうちにあることがわかってきました。その幾重にも自分を包んでいる「愛」に赦され、暖められて、これから生きて行こうと思うようになりました。「中絶」したことが、ずっと心に「罪」として疼いていて、そこから自由になれなかったけれども、これからは閉ざされた心から暖められ、罪を赦されて生きていけると思う、と言っていました。そのことを叔母に話す機会が来たので、話したら、とても喜んでくれて、私と一緒に教会に来ないかと誘われることになったのです。続けてこの教会に来たい気持ちはあるのだけれど、叔母の気持ちにも応えたいので、思い切ってそちらに一緒に行くことにしました、と。
 祝福を祈って別れたのですが、私は彼女の話を聞いていて、掲示板に貼ってあっただけなのに、この言葉の持つ力に驚きを覚え、また打たれました。

執り成しの愛

 彼女が理解したように、「愛は多くの罪を覆う」という言葉の「罪」というのは、自分本位とか自分中心とか、自分の「閉ざされた心」のことを言っているのだと思います。
 ペテロの手紙の文脈の「愛」という一語は「神の愛」を意味しています。そして「罪の贖いとしてのキリストの愛」を意味しています。あるいは、その女性が「自分を愛してくれて、共に悩み、執り成してくれて、きっと祈ってくれていた叔母の愛」を読み取ったことも深い洞察だと思います。
 私は彼女の話を聞きながら、一つの詩を思い起こしていました。それは、皆様もきっと何回も聞いたことがある詩だと思います。「作者不詳」ということで知られているのですが、後々マーガレット・F・パワーズという女性の詩であることがわかっています。「あしあと」という題の詩です。

「あしあと」

ある夜、私は夢を見た。私は主と共に、渚を歩いていた。暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。どの光景にも、砂の上に二人の足跡が残されていた。一つは私の足跡、もう一つは主の足跡であった。これまでの人生の最後の光景が映し出された時、私は砂の上の足跡に目を留めた。そこには一つの足跡しかなかった。私の人生で一番辛く、悲しい時だった。このことがいつも私の心を乱していたので、私はその悩みについて主にお尋ねした。「主よ、私があなたに従おうと決心した時、あなたは全ての道において、私と共に歩み、私と語り合ってくださると約束されました。それなのに、私の人生の一番辛い時、一人の足跡しかなかったのです。一番あなたを必要とした時に、あなたは何故、私を捨てられたのですか、私にはわかりません」。

 主はささやかれた。「私の大切な子よ。私はあなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試練の時に、足跡が一つだけだった時、私はあなたを背負って歩いていた」。


 「私はあなたを愛している」という言葉が心に残ります。「愛は多くの罪を覆う」というのは、こういうことなのだな、との想いを思い起こさせる詩だったので「また」と思われる方のおられることを顧みず、取り上げさせていただきました。

 先ほどの女性は、自分は気がついていなかったが、叔母様が祈っていてくれて、いちいち具体的なことを話さなくても、自分の罪の荷物を、いや自分自身を執り成してくれて、少し大げさに言えば、背負ってくれていたのだ、と気がついたのだと思います。

共同体の愛

 今日読んでいただいた聖書のペテロ第一の手紙は、紀元1世紀の終わり頃、小アジア、今のトルコ共和国で書かれた手紙です。社会の少数派であったキリスト教徒は、非キリスト教徒たち、異教徒に囲まれて生きていました。「囲まれて」というのは、価値観の違い、生活のスタイルの違いなどから、中傷、不信、差別、敵対、憎悪などに囲まれて、ということです。やがて、それは迫害につながっていったのだと思われます。そんな中で、試練を神の恵みとして生きること、忍耐を持って生きることが、この書簡のテーマになっています。

 7節には「万物の終わりが迫っています」(新共同訳 4:7)という言葉があります。これは信仰に生きる者の、終末論的緊張感を表している言葉です。紀元1世紀のキリスト教文書にはよく使われています。初期キリスト教信仰には、このような終末論が色濃く滲んでいます。ペテロの手紙の今日の箇所も、周囲の迫害に信徒が外の嵐に打ち勝つためにも、間近に迫る「万物の終わりを信じて」耐えたのです。
 何よりも、励まし合う仲間同志の、お互いに強い結びつきが必要でした。だから、7節で「思慮深く振る舞い、身を慎んで、よく祈りなさい」と勧められています。そしてその根拠が「愛は多くの罪を覆う」なのです。赦された者だからこそ、愛し合うという教会の内うちの結びつきを強めて生きることが、外の嵐に耐えることなのだ、と奨められているのです。
 「罪がキリストによって負われている」「だから愛し合う」 。これは当時の教会の交わりの基本でした。そして、このような共同体がなければ、迫害という外の嵐には耐えられないということも、初期教会の人はよく知っていました。その共同体の中で、お互いに賜物を生かし歩もう、というのが10節11節の「語る者」「奉仕をする者」とあります。今日の言葉で言えば、違いを認め合った、個性を生かした、つながりです。
 ここで注目したいのは、9節です。7−8節、10-11節は、それなりに品位がある言葉、抽象的ではありますが、あるレベルで捉えています。ところが9節だけは、ひどく卑近であり、具体的であり、日常的です。「不平を言わずにもてなし合いなさい」、理想や総論的なことは別にして、具体的なことになると「不平」が出てしまう、というのは人間らしいことかもしれません。客や旅人をもてなすことは、古代社会の抜き差しならない務めでした。
 ここで私たちが注目しなければならないのは、神に愛され、罪を覆われ、赦されることと、不平を言わずにもてなすことが、相互に関連しているということです。「不平を言わないで」は「つぶやかないで」ということです。つぶやきを圧倒する「愛されている」という大きな出来事が大事なのです。つぶやきという曲がり角を、受ける愛の深さによって曲がり切っていくことが求められています。


(続き②を読む)

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