天皇と対極の人達との連帯を

2002.10.15 (健作さん69歳、川和教会代務者)

「日本基督教団 靖国・天皇制問題情報センター」廃止決議(第33回総会)直前の執筆

 アメリカの軍事支配の貫徹のため「イラク戦争」が着々と準備され、開始までの緊迫が世界を包んでいる。すでに、その戦後のイラク支配のモデルは、太平洋戦争後の米国の日本支配のシナリオに置かれていると報じられている。

 ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』(岩波書店 2001.5)の指摘から類推すれば、日本の占領政策を具体的に遂行したD・マッカーサーは天皇の戦争責任免責と天皇制温存を確固とした骨組みとして、パックス・アメリカーナ(米国の平和)を乱さない限りでの民主・人権・平和の戦後秩序を立てた。

 日本人は(自分の自戒を含めて)勤勉にその路線を歩んだ事がいまにして思われる。「大元帥陛下」の硬質な天皇制は退けられたが、「天子様」の柔構造の精神性としての天皇制は、思想、政治、教育、社会、家庭、宗教の基部に、表面の進歩性の底にまで浸透して、隠密の忍者のように暗躍してきた。

 キリスト教はと言えば、占領軍によって、戦争責任を免責され、戦後民主主義の旗手たるべく「伝道」の優遇を受けた。だが、天皇制の隠密を撃つには、その戦いの刃のもろさは覆うべくもなかった。それは教会の社会的力の弱さというより、「福音」を完結した「教義」として守る事を第一義的に掲げた宣教の姿勢がもたらす事の結果を刈り取ったと言い得るのではないか。

 しかし、教団内では真摯に、天皇制を真当に撃つ営みが続けられ、1990年に、この「センター」となって結実した。この「通信」が、どんなに天皇制と戦う、被差別、被抑圧の立場からしか世の中を見ざるを得ない人々から、期待されて受け取られていたかを知る者として、「センター」の存続を問う議論は悲しい。

 意識や制度としての「天皇制」の対極で生きざるを得ない人々との連帯が、「反天皇制」の実質である事を、もう一度新たな気持ちで自分に言い聞かせつつ、この国での「布教」を突き抜ける、イエスにつながる人間の連帯に励みたい。

(サイト記)「日本基督教団 靖国・天皇制問題情報センター」は2002年第33回総会決議で廃止されました。本テキストはその決議の直前に書かれたものと思われます。「センター通信」に収められたのか現在不明です。

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