宣教学の媒体としての「日本国憲法」(2001 宣教学 ⑪)

2001.9.21、関西神学塾、「岩井健作」の宣教学 ⑪

(神戸教会牧師、68歳)

(サイト記:サイトでは引用の正確さを確認していません。ジョン・ダワーからの引用が健作さんの文章の中に含まれている可能性もあります。学術論文ではないのでご了承下さい。)

1.ジョン・ダワ-『敗北を抱きしめて ー 第二次大戦後の日本人』(John Dower 1938- マサチュ-セッツ工科大学教授、上下、訳:三浦陽一・高杉忠明、岩波書店、2001/5)はカバ-でこの本の梗概を紹介してこう記している。

「1945年8月、焦土と化した日本に上陸した占領軍兵士がそこに見出したのは、敗者の卑屈や憎悪ではなく、平和な世界と改革への希望にみちた民衆の姿であった。勝者による上からの革命に、敗北を抱き締めながら民衆が強く呼応した。……(しかし)そのとき、改革は既に腐食し始めていた。身を寄せる天皇を堅く擁護し、憲法を骨抜きにし、戦後民主改革に巻き戻しをつけて、占領軍は去った。日米合作の『戦後』がここに始まる」。

 アメリカが、第二次大戦後、ソヴィエトとの冷戦構造に突入していく最中、勝者の力と論理による理不尽な「東京裁判」によって日本の軍国主義者の一部を「天皇に責任はない」と忠誠を尽くす家臣の構造を最大限に持たせて、生け贄として葬りつつ、他方で徹底して「天皇」を制度としても個人としても擁護し利用して、戦後の諸施策を進めたことがこの論考ではよく描かれている。

 非軍事化と民主化を、生きた天皇を軸にすえ、その力で推進しながら、上からの憲法制定を(GHQは強力な「“モデル”憲法制定会議」を秘密裏に行い -その内容は各論において非軍事化・民主化を急進的に持ったもの - その草案を日本政府に飲ませ)日米協力・日本政府原案の形で行った。

 この本を読んで、不覚にも今まで知らない事実を始めて知らされた。それは、GHQ側草案を示された日本側(吉田茂、松本丞治、幣原喜重郎)の保守主義者は到底受け入れられるものではなかった。もちろんその後も細部の修正や翻訳の言葉の選択などで抵抗が試みられた。

 例えば、”people” を「人民」[これは天皇制に反する - 佐藤達夫]ではなく「国民」と訳した。「日本人」「大和民族」と同義になり得る訳を持ち込み、「国民」の意識の主体化を阻止した。が、この草案をあっさり承認したのは天皇自身であったということである。

「2月22日、幣原と数人の政府高官は天皇裕仁に概略を説明した。……天皇は自分の『身柄 “person”』が保護されること、また自分の地位が簡素なものになることが分かっていたからである。天皇の忠実な役人たちと異なり、天皇裕仁自ら不敬罪を犯す心配もなく、明治風の天皇制を変更することについて自由に思いめぐらすことができた。いずれにせよ、天皇がGHQ草案を承認したことによって、閣僚たちの良心の呵責もやわらぎ、GHQの要求に従うことができた。」(ジョン・ダワ-『敗北を抱きしめて ー 第二次大戦後の日本人』、岩波書店 2001、p.157)

 草案要項の発表は天皇の勅語「朕……憲法ニ根本的ノ改正ヲ加エ、以テ国家再建ノ礎ヲ定メルコトヲ庶幾ウ……必ズ其の目的ヲ達成セシムルコトヲ期セヨ」で行われた。これらのことは「日本国憲法」がその前文で理想主義精神を持ち、各論で、平和・人権・民主・政教分離の規定を持っているにもかかわらず、戦前戦後の連続性の土壌を残した。ジョン・ダワ-のこの論考は、アメリカ占領軍の最大の仕事とは、日本統治にあたって、天皇を侵略戦争の責任から、しかも戦争の道義的責任からも免訴することに万難を排して組織的に活動し、それを成功させたことであると鮮明に主張している。

 このことは、戦後民主主義のなかに、責任を取らなくともよいという、国家共同体、及びそれに包摂されるあらゆる共同体の共同性の根底を性格づけるものとなった。憲法を媒体とした宣教活動は、日本国憲法がその草案から盛り込まれている、アメリカの法体系を模した、憲法前文及び各論の人類の歴史的遺産の内実的裏付けとして意味のあるもの(例えば、政教分離原則に対する、憲法を内実化する涙ぐましい「闘い」あるいは「営み」[身近なところでは、種谷裁判、中谷訴訟、津地鎮祭訴訟、愛媛玉串訴訟、箕面忠魂碑訴訟]がなされてきた)の、その本質においては、天皇制との闘いであった。それは他の側面からみれば、責任を取らなくても成り立つ国家共同体の共同性の在り方と、それを補完するバリエ-ションとしての共同体的共同性との闘いでもあった。

 デイヴィッド・ボッシュ著『宣教のパラダイム転換[下]』(東京ミッション研究所訳 2001/3)のなかで指摘されるように、ロバ-ト・リ-は、天皇制の日本文明と超越的な西洋文明との『文明の衝突』(鈴木主税訳、集英社)と理解しようとするサミュエル・ハンチントンの理解を批判している。

「キリスト教の宣教学にとっては、この衝突を決定的なものとして受け入れることはできない。キリストの福音は、西洋文明かそれとも日本文明のいずれかに換言されるようなものではなく、神の国の最初の結実としての終末論的代替共同体へと我々を招くのである。このような共同体は、新しい秩序のなかで集まり、自由に愛し合う存在として国家や社会に主の証言者となるよう、豊かな回心経験を育む。」

 と「終末的代替共同体」の証言者としての教会を示唆する。

2.日本国憲法の持っている状況性。平和条項(第9条)の実質的なし崩しを「日米安保条約」で行ってきていることから考えると、例えばイエスが言った「平和」(マタイ5:9 、10:34)の方向性の確保として「護憲」があるとしても、具体的個々の施策まで踏み込んで宣教課題としない限り抽象的になるであろう。いわゆる保守的教会が「社会問題」として、教会の「救い」の問題と区別する扱いは、宣教の回避、ないしは抽象化を結果として招くことになろう。

「アメリカの同時多発テロ」から必然化している「自衛隊の出動」の法的処置なども、日本の外交努力への主体的在り方を世論として提言していくことが教会の宣教の方向である。憲法を媒体とした宣教の課題となる。今の日本の政治勢力バランスでは、天皇条項の改正はプログラムの射程には到底上りえないが、いつの日にか、この条項を必要としない、社会の姿を築く幻を描くことは憲法を媒体としての宣教ではありますまいか。

3.責任をとる人間相互の関係性。宣教は人間相互の関係性の質に関わる問題であるとは、繰り返し言ってきた。その関係性が一方で「神との関係」を保ちつつ、他方で人間相互の相互的関係性へと結実するところに、宣教が論理的反省として検討されるところに「学」としての課題があるとすれば、宣教学の射程には、

① 神学的検討の文脈(神学ないし宣教のパラダイムは歴史的にも地域的にも多様である)、
② 聖書学的文脈、
③ 媒体としての思想的概念とその歴史的文脈、
④ 宣教の具現化としての人間共同体(特に、虐げられ、疎外されている人々)の諸点を繋ぐ思考でなくてはならない。

 日本国憲法は、神学概念を人間学的概念に転換し得る法概念をその中に宿しているゆえに、宣教の媒体となる可能性を多く含んでいる。特に前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われわれの安全と生存を保持しようと決意した」は銘記すべき文言である。

 思い起こすギリシャ悲劇がある(トゥキュディデス『ペロポネソス戦争史』)。スパルタと交戦中のアテナイ人が小さなミロ島の住民に自分達の側につくことを強制したことがあった。古くはスパルタの同盟国であり今は中立であった。ミロは最後通牒を前に「義」を乞い求め憐れみを請うたが駄目であった。破壊と虐殺、奴隷化が行われた。「双方の必要が釣り合ったところに『義』は存在する。強者と弱者がいる場合は、強者の強制を受け入れる以外にないのだ。」とはアテナイの弁であった。「神々が味方する」とはミロの希望であった。しかし、アテナイはこれは既にできている「律法」に従っただけだ、あなたがひとたび私と同じ権力を持てば、同じ行動にでるに違いないと言ったという話です。

 シモ-ヌ・ヴェイユ(1909-1943)は、「義」について「人間が二人、一緒に仕事をする場合、どちらの方も相手に強制力をもたない場合、二人は互いに理解し合わねばならない。そのような場合、「義」の存在が認められる。……義こそ神において、御父と御子とを一つに結つけている愛のイメ-ジであり別々に別れている者を一つの思考にする」(『神を待ちのぞむ』)といっている。多数派に所属しない「義」の概念とそれがもたらす関係の実現への筋道をつけることは宣教学の課題である。

4.ペトロの手紙一は、周囲の異教徒から迫害を受けている信徒を慰め、信仰に堅く立つように励ます目的で書かれた手紙である。割と早くから新約聖書の正典の中に入れられたのは、内容が、パウロの正統的信仰をよく伝えているからだと言われている。もちろん偽名文書。迫害の試練に耐えよ、との勧めである。恐らく、当時の初期教会の人が周囲の人々から迫害を受けるほどに譲らなかっことがあったに違いない。ペトロの手紙一3章13-14節以下にはこうある。

 もし、善いことに熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。しかし、義のために苦しみを受けるのであれば、幸いです。人々を恐れたり、心を乱したりしてはなりません(ペトロの手紙一 3:13-14、新共同訳)

 つまり「義」という事柄については迫害を受けてまで譲っていないということです。ペトロ文書の「義」は独創的なものではなく、マタイの5:10にも次のように用いられている。

 義のために迫害される人々は幸いである、天の国はその人たちのものである(マタイ 5:10、新共同訳)

 初期キリスト教さらには、旧約の預言書からの伝統がある。「義」は神との関係そのものを意味する。と同時に、初期キリスト教では、人との関わりにおける「義」を包含している。

 ここがパウロの「義(義認)」の理解と、マタイなどの「義」の理解とは異なるところである(マタイ 3:15、5:20)。ペトロ書簡の「義」は、マタイの系譜にあるだろう。当時のヘレニズムの世界の「義」の理解は、先程のギリシャ文学に示されるほどのことであるとするなら、旧約聖書の系譜を引く「義」の理解とは異なっている。「義」は旧約以来、共同体の規範を意味する言葉であって、上下関係や支配関係ではなく、人格と人格の関係、を現してきた。それを初代の教会が周囲に対する違いとして、身に付けた共同性の在り方ではなかったのか、もちろんそれが自覚されていたかどうかは分からない。内容的に「義」であることをもっと違った形で固執していたかも知れない。

 このたびのアメリカの同時多発テロは(まず、不条理の死に対する、悲しみへの思い巡ら、多くの市民の死と悲しみを直視し、哀悼の思いを抱き続け、歴史に照らしてその死を心に刻みつけねばならないことを踏まえた上で)一方に力による米国の強大なグロ-バリゼーションが支配し、その対極に中東社会の貧困と抑圧が広がり、さらに「聖戦=殉教」の意識を持つ宗教原理主義(かつて日本も神風思想で行動した)がそれと結びついて、そこには極度のテロを醸成する地盤があってあの事件だった。単純に善と悪(民主主義とテロ)の理念的図だけでは捉えられない「義」の現実の歴史があります。

 同時に「剣を取るものは皆、剣で滅びる」(マタイ 26:52)との聖書の価値観、その意味で「テロリズムが育つ憎悪がどこに存在するか。そのマグマの温度と量を計るとともに、憎悪を和らげるための政策を幅広く考える必要がてくるであろう。」という論旨(「朝日新聞」2001/9/13,高成田享、朝日アメリカ総局長)には、聞くべきものがあります。イスラムは対話のある宗教であることが多くの所で表明されています。パレスチナのアラファト議長は、テロによる死者に弔意を現し、アメリカ、ハワイのイスラム教徒はキリスト教と合同で追悼集会に参加しています。しかし他方、国家の威信のために、武力報復しかないという在り方は、「義」とはほど遠いありかたで、本当には民主主義ではなく、もう一方の「国家原理主義」です。既にこの問題を忍耐と苦難をともにしつつ「剣を変えて鋤となす」という聖書の価値観の実りを信じようという動きが、アメリカでも、日本の教会でも始まっている。

 剣を取る者は皆、剣で滅びる(マタイ 26:52、新共同訳)

 日本国憲法を足枷としてではなく「義」の通路として考える視点を強調したいと思う。

「岩井健作」の宣教学インデックス(2000-2014 宣教学)