102条園 − 「当分の間」の意味するもの

神戸教會々報 No.153 所収、1998.12.20

(健作さん65歳)

子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。 マルコ 10:14


 私どもの教会、宗教法人日本基督教団神戸教会は、宗教法人法に基づく公益事業として、石井幼稚園と神戸教会いずみ幼稚園の二つの幼稚園を運営しています。それぞれの設立の由来、歴史については『近代日本と神戸教会』(創元社 1992)に記されています(p.168, p174)。その運営は、公益事業委員会がその掌に当たり、毎月の役員会に報告がなされ、毎年度教会総会でその報告の総括が承認されています。つまり一言で言うと宗教法人立の幼稚園なのです。

 ところが学校教育法(1947年施行)第二条では学校法人のみが幼稚園を設置することができる、となっています。この法律ができた当時、出生率は高く幼稚園経営は繁盛していて、法の規則がゆるいため、相当に悪質な経営者がいましたから、法人格を整え設置基準がはめられたことはそれなりに評価されるべきことでした。そして、その後成立した私立学校法(第59条)により国の助成は学校法人に対して行われてきました。それまで、宗教法人立や個人立で運営して来たところも行政の指導に従って続々と学法への移行がなされました。ところが、設置基準に合わなかったり、個人財産あるいは宗教法人財産を学法に寄付できなかったり、また、幼児教育は小規模がよく(文部省の学校法人運営適正規模は150人とされた)、国の助成は、本来子供自身になされるべきで、設置主体は、多様であって然るべきだ、という「こどもの人権」という理念に立って学校法人にならない、あるいは出来ない幼稚園が多数ありました。

 そこで国は1949年付則の102条において、幼稚園は学校法人のみが設置できるという規定にもかかわらず「当分の間、学校法人によって設置されることを要しない」と定めて、以来約50年、宗教法人立や個人立の幼稚園が102条園として存続しています。

 日本基督教団の中でも、幼稚園を学法化すべきか否か、激しい議論が続きました。メリット、デメリットが双方にあります。私個人は、少し理想に過ぎますが、就学前の保育・教育は法的に一元化し、厚生省管轄の保育園行政と文部省管轄の幼稚園とが福祉と教育という分けられた形ではなしに扱われることが望ましいと思っています。

 世界の就学前教育の先進国ニュージーランドでは、Educare(エデュケア:Education + Care)という造語を作り、保育所も幼稚園も親が主体のプレスクールも民族教育のコハンガレオも一つの法のもとにあり、公私など設置形態の多様さを認めつつ、助成は、こども一人が受けた保育の時間単位で行われています。すると、幼児施設の規模はほぼ50人までで運営できる仕組みになっています。

 日本の場合、厚生省関係の施設は措置費として多額な費用が出されています。文部省関係の幼稚園のことを瞥見すれば、公立は、例えば神戸市の場合、園児一人年144万(98年)の支出です。公私格差是正のため国と市で就園奨励費が出ています(過去の運動の成果が積み重なり、所得ランクで出される)。これも一人年4万4400円(98年)が普通です。県は学校法人に年一人10万3333円を運営費として出しますが、102条園には一人2万4000円の教材費補助だけです。理想は理想で、現実は一歩一歩運動しなければなりません。兵庫県の102条園への助成は全国で最下位に属するからです(「兵庫教育102条」 p.34)。

 兵庫県下幼稚園の6割が私立で、254園。そのうち42園が102条園です。ほとんどが小規模園です。保育内容が地域で信頼されていること、待遇の格差にもかかわらず少数保育の良さを信じて保育に打ち込む教師のいること、幼児教育に使命を感じる運営主体のあることなどが、これらの園の今もっての存続基盤です。

 102条園が学法にしないままで助成を求めるのはわがままだ、という雰囲気から、最近少し風向きが変わってきました。小規模は良いことだ、102条園は特に障害児の統合保育に熱心に取り組んでいる等々。先日、貝原俊民知事が102条園関係者とことさら懇談の時間を持った(週報No.48参照)のもその表れです。

 102条園は、この国の幼児教育の諸問題を根本的に見据える位置にあります。特に、国家と子供との関わりを考えると、102条園のことをもっと思想化する必要があるでしょう。

 法をもって「当分の間」存在することに甘んじる閉ざされた施設ではなくて、この業は私たちの国のこどもが負っている十字架を担う開かれた役目を神から与えられているのだと信じます。