開かれた食卓(1998 礼拝説教・ルカ・待降節)

1998.12.6、神戸教会、待降節 ②

(牧会40年、神戸教会牧師 20年目、健作さん65歳)

ルカ 14:12-14

“その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。”(ルカによる福音書 14:14、新共同訳)

 ルカ福音書が書かれた時代には、宴会が社会生活上、重要な役割を持っていたことが、14章の宴会の物語にはうかがえる。

 宴会に招かれた人は、その宴会にどんな人たちが招かれていて、自分がそこに参加する意義は何か、自分のメリットはどこにあるのか、また招き返す社会的意義がどの程度のものかなど、綿密に考えておく必要があったらしい。

 そして同等な社会階層を越えた宴会というものはなかった。

 つまり「互恵性のパターン」があり、宴会の役割とはそのシステムの維持と強化にあった。


  ところが、ルカ福音書の伝えたメッセージは、ルカ4章16節以下によく現されている。それはイエスがナザレの会堂でイザヤ書61:1-2を読んだことにはじまる。

”主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。”(ルカ 4:18、新共同訳)


 そして、「宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい」(ルカ14:13)とあるのは、ルカ4章と符号している。

 つまり、当時の社会が枠組みとして持っていた互恵性(相互に恩恵を被る “Gvie and Take”)の閉鎖性を根本的に問い直したのである。

 お返しができるか、お返しができないか、という判断基準ではなく、「主の恵み」(4:19)が現れているか否かの判断基準への組み替えが実現していることが、宴会の新しい基準なのである。

 ルカの時代、街の囲いの外には、皮なめし職人、負債を抱えた人、逃亡奴隷、売春婦、物乞い、外国人避難者など社会的底辺の人々がいた。

 当時の教会に入信した富裕層の人々は、自分たちの社会的ネットワークを相対化して、イエスが”友”とした底辺層の人たちにも開かれたネットワークの組み替えを行った。

 ルカは富の所有を否定したのではなく、何を第一義として、社会のあり方、文化のあり方、つまり「交わりを作り出すか」を鋭く迫った。

 教会はいつの時代にも、その構成員の社会的枠組を担って気付かぬ閉鎖性を負ってしまっていないだろうか。

 このことについては、厳しい自省が必要である。

 これを破るものは「お返しができない人との関わり」であろう。

 その人たちの背後にイエスの存在が見える時、私たちもその人たちを通して救いにあずかるのではないだろうか。

19981206

説教原稿9枚。最初のページ。

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