1998.11.30(月)朝8:30、神戸女学院中高 アドヴェント礼拝
1995年1月の阪神淡路大震災から4年
(牧会40年、神戸教会牧師 20年目、健作さん65歳)
Ⅰテサロニケ 5:16-17
”いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。”(テサロニケの信徒への手紙 一 5:16-17、新共同訳)
みなさん、今年も11月の終わりになりました。
新しい年を迎えるのに、もう年賀状の準備は出来ましたか。まだ、ちょっと早いかもしれませんね。
年賀状を送ったり、いただいたりというコミュニケーションというか、交わりというものは いいものですね。
ここで一つ、みなさんに想像力を働かせて考えて欲しいのですが、親しい方から「あなたから年賀状が来ると、私のところは困るのだ、もう出さないで欲しい」と言われたら、どんな気持ちになるでしょうか。
悲しいですね。
実は最近、私は『神の家族』という大変うるわしい題の本をいただきました。
その中に、現実に、故郷のお父さんが、故郷を離れた娘さんに「これからは賀状を出さないでくれ」と言われたというお話が載っているのです。
本当にびっくりしました。
『神の家族』という題の本ですから、本当は肉親の家族を超えた美しい物語なのです。でも、どうして肉親の家族が年賀状のやりとりも出来ないことが起こっているのでしょうか。
この本を読んでみると、それにはそれなりの訳のあることも分かりました。
瀬戸内海の小豆島の北の方に、長島という島があります。ここには国立療養所という施設が二つあります。
長島愛生園とい邑久(おく)光明園です。
療養所というのは、病院をもっと大きくしたような施設ですが、この二つの施設で今も1000人ほどの人が療養をしています。
この方たちはハンセン病患者と言われ、あるいは今もその病気の後遺症を抱えている人たちです。
日本の国は、ハンセン病の人たちを「らい予防法に関する法律」で一般の人々から離し、隔離して来ました。
ハンセン病は、ノルウェーのハンセンという方が発見した「らい菌」という細菌によって感染するのですが、1949年、今から50年前に「プロミン」という薬が作られ、それでもって治療ができることになったのですが、ずっと収容隔離政策がとられたために、今でも、人々はハンセン病は恐ろしい病気だといって、この人々を差別してきました。
最近になって、日本基督教団では、このような差別は間違っていたという「謝罪の声明」がハンセン病患者の方々に送られました。
『神の家族』という本は、長島の療養所の中にある「光明園家族教会」の人たちの教会の記録です。
その信仰の証しの一つに、先の「年賀状」の話が載っています。
こういう文章です。
少し間を飛ばして読んでみます。
(サイト記:以下引用。抜粋と下線部は健作さんの原稿参照。かなり長いですが、健作さんが朗読したと思われる部分を引用します。全文は、ページの最後に掲載する原稿画像をご参照ください)
”郷里の土を踏むことなく入園以来、早くも28年の正月を迎えた私は、多くの方々から賀状を頂きながら、尽きぬ喜びを感じています。20幾年の療養生活を振り返る時、山あり谷ありの毎日でどの一つをとりあげても、教えられることばかりです。…入園当時の私がキリスト教へ求道したのは、只病を癒されたい一心からでありました。
そして昭和19年のクリスマスに奨められるままに受洗致しました。…
こうして歳月は流れ、一昨年の6月思いがけない父の面会に接したのです。何しろ7年振りの対面でとても嬉しかったのですが、父は言いにくげに「実は田舎ほど正月は人の出入りも多いので、これからは賀状も出さないでくれ」と言いました。それは我が家の後とりに嫁を貰った昭和30年頃より、家への便りは一切断念するように言い渡されながら、賀状だけはと思いつつ主人の名義で毎年差し出しておりました。処が43年にふと書き落としたことが、返って賀状の届かない家の方では20幾年振りに安心した正月を迎える事が出来たと言うのです。その事を父より率直に聞かされ、あ然としました。余りにも虚しいこの世的平安、また世の不合理に心打たれたからです。
以来、母の苦労性も十分知っていますので、今後はもう賀状も出さない事を父に申し伝えたのです。しかしその一瞬言いようのない暗い気持ちに襲われ、息詰まるような圧迫感の只中で、主イエスに助けを求めた時、イザヤ53章のみ言を示され、特に4節「まことにわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった」…苦難のメシアのみ言を賜り、どんなにか偉大なるみ力と平安に満たされたか分かりません。如何なる時も只、主の恵みと憐れみが絶えず己が身に注がれている事を実感させられ、喜びの生活にある事と思い合わせて、これからは自分だけの恵みにとどまる事なく、この家族の為にも熱心なるとりなしの祈りを捧げねばならない事を痛感させられたのです。
かつての私でしたら、面会に際しても、肉親の心境を知りつつ、結局は自己愛のみにとらわれ、今だにみんなを困らせた事であろう。しかしあれから2年目の正月を迎えた私は、賀状を出さない淋しさよりも、むしろ今年の正月もほっとした思いで迎えたであろう両親の顔を想像する喜びの方が深いように思うのです。
そして今は主の奇しき愛に守られながら、人の手による文字でなく、霊の板に刻むまことの交わりの実現を信じつつ、これからもますますみ言にありて生かされたいと願っているのです。”
出典『神の家族』光明園家族教会85年記念誌 1998年5月「恩寵に生かされて」黒沢小夜子
肉親に直接 賀状さえ出すことが出来ないところで、家族の立場に立って、その気持ちを思いやって、神様に祈る生活のことが出てきます。
「人の手による文字でなく霊の板に刻むまことの交わりの実現を信じつつ」と言っています。
人と人の間のコミュニケーションは(サイト記:読めません)神様を媒介として人につながることができるのは、祈りのコミュニケーションです。
”いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。”(テサロニケの信徒への手紙 一 5:16-17、新共同訳)
と(サイト記:読めません)
私たちが失ってしまっているものを、ハンセン病の人々から教えられる思いがします。