僕(しもべ)の道(1998 礼拝説教・フィリピ・待降節)

1998.11.29、神戸教会、待降節 ①

1995年1月の阪神淡路大震災から4年
(牧会40年、神戸教会牧師 20年目、健作さん65歳)

フィリピの信徒への手紙 2:6-8

”キリストは神の身分でありながら、神と等しいものであることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。”(フィリピの信徒への手紙 2:6-8、新共同訳)

 キリストは神の身分でありながら「キリスト賛歌」と呼ばれる初代キリスト教会の讃美歌ないしは信仰告白文だと言われています。

 すでによく知られているものを、フィリピの信徒への手紙の著者パウロがわざわざ引用したのは、経験知に訴えて真理を語る、という手段をとったのです。

 しかし、一箇所「それも十字架の死に至るまで」の句は、パウロの付加挿入です。


 何故この句を挿入したのか。

 一つは、元来この歌は、イエスの生涯と振る舞いが持っていた逆説を宿していますが、フィリピの教会で日常歌われているうちに、慣習化し、定式化して、この教会の生活の中で滑らかになり、「とげ」のように刺さる根源性が失われていたことをパウロは憂えたからだ、と思われています。

 「恐れおののきつつ自分の救いを達成する」(フィリピ 2:11) 

 は、教会には「慣れ」の無用なことを鋭く投げかけています。

 第二は、その「慣れ」を砕くものが、イエスの「十字架の死」であることを想い起こさせることです。

 イエスの死の理解には、イザヤ書53章に基づいた「贖罪論的」理解があります。これはユダヤ的思想を含んでいますが、ここでは語られていません。

「信仰の理解」(こういう表現にそもそも反論される方はあると存じますが)すなわち、信じること、信じられていることの、関係性を自覚的・内省的に捉える捉え方は多様だと思います。

 パウロは、ここではフィリピの人たちのあの「慣れ」、気のつかない「高慢」に、「十字架の」という歴史的事実をもって迫ったのです。

 十字架は、ローマ支配下、政治犯が処刑される処刑台です。

 イエスは死んだのではなく、殺されたのです。

 弱さ、みじめさ、絶望の死でありました。

”イエスの十字架は、われわれが自由に処理することのできないもの、把握することのできないもの、すなわちその前で人がただ沈黙するほかないものが持つ、棘(とげ)を持っている”(ウルリッヒ・ルツ)

 その通りです。


「僕(しもべ)」というと、倫理的規範を思ってしまうのは、私たちの不自由さです。

 そこを越えて、なお支えて下さる神の自由、恵みが、確かに存在することとして受け取るなら、そこには温かみが、そして救いがあります。

19981129


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