神戸風情二題

神戸教會々報 No.149 所収、1997.12.21

(健作さん64歳)

その招きにふさわしく歩み  エフェソ 4:1


 晩秋、小磯良平展へと大丸ミュージアム・KOBEに足を運んだ。旧知と語らうような清澄な時を覚える。121点の作品群の中に、32葉の聖書画装原画が笠間日動美術館より加えられたことは今回の作品展を幅広いものとしている。

 カタログに寄稿している山野英嗣氏は「小磯良平再考ー『口語聖書聖画集』をめぐって」の中で、「女性像の画家」という「小磯像」のひとり歩きを戒め、「聖画集」につき、「『宗教性と精神性』に満ちた『小磯像』のはじめての具体的な現れ」と語り、「『時代』とともにある小磯の姿が投影されているのだ。」と結んでいる。

 メッセージ性ではなく精神性を持たせる挿絵の表現技法は小磯さん独自のものであり、そのたたずまいを私はこよなく愛する。カタログで石坂春生氏の「小磯先生のこと」という一文には心を温められた。

「……先生は、お酒がわりとお好きな方でした。……多少アルコールがまわられ、一人、二人、歌なぞ唄ったりして、……「ぜひ先生唄って下さい」と申し上げると、それではと静かに立ち上がり、はずかしそうに小さな声で唄われたことが、きのうのようにおもいだされます。」

神のお子のエスさまは
ねむり給うおとなしく
飼葉おけの中にても
うたぬわらの上にても

 12月8日。若い人には特別な日ではないが、太平洋戦争を経験した世代には心重い開戦の日である。この日「12.8集会とデモ・許すな!日米ガイドライン、憲法9条を平和のガイドラインに」の催しがあった。主催は「兵庫共同アピールの会」。世話人は浦部法穂・佐治孝典・播磨信義・和田進の諸氏、憲法研究者を中心とした大学人、事務局は飛田雄一氏。旧知の方が声をかけて下さり、私も呼びかけ人の一人に参加。問題の「日米防衛協力の指針(ガイドライン)改定」は国内法の改訂が進むと、有事(即戦時)体制を現実ならしめ、私たちの日常生活を蝕む。この指針による医療支援につき米国はすでに有事12万人(戦闘1ヶ月)死傷者中の千人を日本の医療機関支援として要請しているという(神戸新聞 12.1)が、これは一例に過ぎない。

 当日はからずも、神戸YWCAの柴田富士子さんと共にデモ前の「訴え」を頼まれた。二つのことをお話した。

 一つ目は、12月21日には、沖縄名護市で海上ヘリ基地建設の賛否を問う住民投票が行われること。名護教会の堤栄喜牧師に電話を入れたら、防衛施設庁の職員が2万数千戸の各戸に「振興策」の説明と称して、「賛意の説得」をしているという。
「戦争の意志 vs 平和への意志」といった熾烈な戦いが、今名護では行われている。
 今日のデモに名護市民への連帯の気持ちを表したい。

 二つ目は、私には「12月8日」というと、「御民われ生けるしるしあり」と「大東亜戦争開戦」の感激と「皇国の民の至福」を礼賛した美文が心をよぎる。確か倉橋惣三氏の文章だった。
 急遽、頌栄保育学院の中溝さんに頼んで探してもらった。保育誌『幼児の教育』の昭和17年代に連載されていた。「戦時国民幼稚園ー子らと共に萬歳をさけぶ」の一節を引用する。

「……幼き子等は、大稜威の宏大をまのあたりに仰ぎつゝ育つのである。……大東亜戦争下、職場を幼稚園に与えられたものとして……子等と共に……手を挙げて、萬歳をさけばせやう。」

 倉橋惣三(1882-1955)は「幼児教育の理論家・指導者、東京女子高等師範学校(現御茶の水女子大学)教授、東京女高師附属幼稚園主事、日本保育学会を創設、初代会長。子どもの『自己活動』『自己発展力』を重視する自然主義立場をとり……幼児教育界に大きな影響を与えた」(『朝日人物辞典』)。
 彼は今でも日本の幼児教育界では「父」である。彼は聖書の「幼な子の如くならざれば、天国に入ることを得じ」の一節をことのほか愛したという(保育誌『はらっぱ』1997年10/11月号、堀正嗣「倉橋惣三」)。

 その倉橋が、何故、何故。

 国家の戦争意志は人間を変える。このことを知らねばならない。

 新ガイドラインは国家の「戦争意志」の表明ではないのか。

 その肉付けとして、暴力団対策などをかかげ市民団体の活動までを視野に入れた「組織犯罪対策法案」が次期国会に上程されるという。

「普通の」市民が反戦への感性を持たねばならない。

 こんなことを訴えた。

 県民会館から三宮阪急東口までのデモを終わると、倉橋惣三を尊敬するという年配の保育者に声をかけられた。

「今日は来てよかった」と。

 コピーを送る約束をして別れた。

 別れ際の「私、教会には今行ってないんです。が、日本基督教団の信者なんです」という言葉は心に刺さって、疼いたままである。