雑感・日誌(3)(1995 週報・イースター・震災から89日)

1995.4.16、神戸教会週報
震災から3ヶ月、復活日・イースター礼拝
午後、納骨者記念式

(神戸教会牧師18年目、牧会37年、健作さん61歳)

マルコによる福音書 16:1-8、説教「時とリズム」

(サイト記)前週「雑感」に続き、この日の週報も「雑感」が掲載。この日の説教テキストが見つかれば追加します。


雑感

4月6日(木)

 東中国教区婦人委員会は岡山教会が中心になって長田区の水笠通公園で5回目の炊き出し。今回はメニューが「ビビンパ」で400食。

 ご飯を炊く必要があり、神戸教会炊事場を使用、20数名の参加者。

 横野朝彦 教区議長によれば、この地区では在日韓国・朝鮮人の人々の被災状況が特にひどいとのこと。岩井溢子姉同道参加。


4月6〜7日

 東京にて臨時常議員会。

 阪神大震災のための運営委員会の再組織化と救援の中長期的展望を中心に協議。

 いわゆる「2・1関学問題」が同学院側の一方的資料で教団内に混乱を招いているので、この件に関しては「調査委員会」が設置され、7月常議員会までに報告が出されることになった。

 上京中、武藤誠兄が天に召さるとの連絡あり。7日、京都に下車、鹿ヶ谷の子息・直氏宅訪問。

(サイト記)武藤誠・関西学院大学名誉教授、『近代日本と神戸教会』(1992)共同編集執筆。


 もし、震災そして家屋の全壊がなければ、ここまでにとの思いがよぎる中、しかし主の御心は何かを積極的に問う。


4月8日(土)

 故北村音一兄の記念会が芦屋の自宅にて。

 福音一筋にとの祖父の御名命をいただき、音響学の学徒となった不思議さに、福音は言葉以前に音の響きであることに思い巡らした。


4月10日(月)

 会堂にて野呂朝祥兄葬儀。

 同兄の愛唱聖句・詩篇119篇17−18に、戦時中の「寄留者」の苦難を偲ぶ。


”あなたのしもべを豊かにあしらって、生きながらえさせ、み言葉を守らせてください。わたしの目を開いて、あなたのおきてのうちの くすしき事を見させてください。”(詩篇 119:17-18、口語訳)


 夜、京都で武藤誠兄の前夜式。親族の方のみで、静かに祈る。


4月11日(火)

 洛陽教会を借用して武藤誠兄葬儀。

 弔辞は3名。関西学院大学、黒川古文化研究所(考古学)、神戸教会(鈴木道也兄)。

 故人の生きられた3つの分野でのお働きがよく分かり、感銘深い葬儀であった。

 斎場に向かう途中、桜花爛漫の岡崎を通過、震災以来の時の経過が急に身に沁みる。


4月12日(水)

 石井幼稚園 入園式。船越園長はじめ教師たちの温かさ、元気な新入の12名が印象的。

 続いて10時45分から、いずみ幼稚園の入園式。3歳6名、4歳4名の新入園児、全体で10名減。震災の影響歴然。例年に比べてお行儀のよい式だった。


 午後、京都教区事務所で教団の新しい震災救援センター運営委員会。

 委員は東京・京都・大阪・兵庫・東中国・四国各教区からと社会委員会。

 兵庫の代表として参加。

 被災教会の財政状況を考えるとかなりの長期戦、また教会の地域への働きをこの際掘り起こしていくことが大事だとの認識を協議した。


4月13日(木)

 久々、園庭で新入の子どもとおままごとなどに加えてもらって遊ぶ。

「よせて」と声をかけてくる子、遊びの切り替えの早い子。

 この子らと遊ぶ春日(はるひ)は暮れずともよし。

 良寛の句を思った。

(1995年4月16日 神戸教会週報 岩井健作)


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1995年 週報

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