「石井幼稚園だより」No.49、1994.6月号所収
(健作牧師 60歳)
体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るい。 マタイ 6:22
目は心の窓、という。また、目は口程に物を言う、ともいう。子育ては、目八分に口を二分、とは私がよく保育者にいっている言葉でもある。
輝いた目、表情のある目、演技のある目、受容の目、優しい目がいい。恋人がふっと見つめあった瞬間を、お母さんが赤ちゃんをいとおしむ眼差しを垣間みるときは、永遠の国にいる様な気がする。
「お母さんの目」という題で幼稚園の母の会でお話をしたことがある。
第一に、こどもの心と向かいあった眼差しを大切にしてほしい、と語った。例えば、岩崎ちひろの柔らかな髪の後ろ姿だけが描かれて、赤ちゃんが母の肩に抱かれている絵の母の目は、絵では見えないのに、こどもの心とはやさしく触れ合っている。
第二に、母の目は、責任ある目、観察の目、成長を見守る目、頼りになる目、冷静な目であってほしい。時間の経過を知った長い眼差しが子の成長を包む。
第三に、内省の目、沈黙の目、考える目、耐える目、祈る目、信じる目、神に向かう目であってほしい。
母の祈りは、たとえ親から離れ、親を手こずらせる子にもやがて届くであろう。
「汝がために祈る母の、いつまでも世にあらん、永遠に悔ゆる日のこぬ間に、とく神にかえれ」(讃美歌510番4節)
大の男がしみじみと心でこの歌を唄う日がきっとあるのが人生というものだ。
(母の日にことよせて)
(サイト記)冒頭写真は安中での健作さんのご両親と溢子様です(健作さん撮影か)。健作さんは父方で数えると甘楽教会の系譜3代目、母方で数えると安中教会5代目になります。父・文男様は同志社大学教授時代、新島学園からの招聘に応えて校長就任、晩年20年をご夫婦で安中教会員として過ごされました(父・文男、1983年没)。健作さんご夫妻は2016年から(現在に至る)安中教会員です。