戦争と子供 −沖縄からの問いかけ(1993 保育・沖縄)

1993.7.9 「山びこ」(日本キリスト教保育同盟)所収、於第1回園長研修会

神戸教会牧師・付属いずみ幼稚園園長 健作さん59歳

 第二次世界大戦後50年近くなるというのに、それに加担をした私たちの先達たちの戦争責任がなされない日本の精神風土がどうしても気になります。

 例えば保育界の先覚者・倉橋惣三氏の全集はその弟子たちの手による編集ですが、戦時中の『子どもとお国のために』との「感動的」な戦争への呼びかけ文については触れていません。日本基督教団の戦争協力と同質ですが、幼児教育界の「戦責」表明には未だ接しません。

 戦争の傷を深く負うのは子供を含めて弱者です。その意味から言うと「本土」の同化・差別・抑圧・支配の歴史を経験し、天皇制護持のために悲惨な終わりなき地上戦を押し付けられた沖縄の住民のその子供の叫びは「戦争と子供」に欠くことのできない視点です。

 その意味で、今回のお話に当たって、丸木俊・丸木位里著『おきなわ 島のこえーヌチドゥタカラ<いのちこそたから>』(小峰書店 1984)をスライド化し、文章朗読をテープにしてまず見ていただきました。

おきなわ 島のこえ―ヌチドゥタカラ(いのちこそたから) (記録のえほん (3)) 小峰書店 1984

 手間のかかる作業でしたが、丸木夫妻が「本土」側の罪責の思いを込めて1年余の長期滞在の中で沖縄戦を包括的かつ戦禍の中の子供の物語として画いた一筆一筆を味わいました。

 私は今まで「日本基督教団と沖縄キリスト教団の合同のとらえなおし」の作業に取り組んできました。天皇絶対制の国家が特に沖縄の歴史を通じて示した、その島々に住む人々への人間関係の質を「教会もまた持ってしまっている」このことが知らず現れてしまった「合同」をもう一度反省し現在の教会のあり方に活かそうという営みです。

 6・9「皇太子の婚儀」が国の休日として迫り、祝意の押し付けが始まっています。「イエス様の保育園」はその日も「主に従いゆく」子供のあどけなさと共に生きたいと思う者です。