書評・桑原重夫(1993 引用・『聖書を歴史的に読む』)

1993.6.13、神戸教会 週報
聖霊降臨節第3主日

「靖国天皇制問題情報センター通信」126号の書評欄で『聖書を歴史的に読む』(岩井健作著、SCM研究会 1993)が取り上げられていました。評者は大阪教区 摂津富田教会牧師・桑原重夫氏です。(神戸教会図書部)

 友人の岩井健作さんが『聖書を歴史的に読む』という本を出しました。

 80ページ余の小冊子ですが、非常に面白い本です。

 いま教団で取り上げられている”社会活動基本方針”再検討や「聖書の読み方のつき合わせ」の問題が、ほぼこの1冊で言い尽くされている感じがします。

 表題が示すように、岩井さんはこの本でこれまでの教会の伝統であった教義的・神学的な読み方の枠を外し、聖書をそれを生み出した歴史や社会の状況の中に返して、聖書の文言からその背景をなす社会・教会の現実的な動きを読み出すように進めるのですが、前半は、そんな読み方をした場合、そこに描かれたイエスの生き様やパウロの言葉が現代の教会にどんな発言と行動を促すのか、ということが説得力のある表現で書かれています。

 その立場から、後半では、教会の戦争責任の問題や障害者差別の問題を取り上げ、その中で「天皇制」を論じています。

 例えば、戦前の日本を問う場合、私たちはよく現代的な発想で過去の歴史を問題にします。

 けれども、その方法は「批判」としては、およそ無意味です。

 むしろ教会も含めて、あの戦争に協力していった過程を自己批判的に分析しながら、民衆も教会も取り込んでいく「国家」の問題を緻密に検討するところから、本当の批判は始まるのです。

 岩井さんは、医療で言う「対治」に対する「同治」という方法で、その関係を説明しています。


 天皇制を取り上げる場合も、この関係はそのまま当てはまります。

 キリスト教が天皇制を論じる場合、教義を振りかざして、あるいは近代主義的な政教分離論で対峙しようとします。

 けれども、そのことで天皇制支配を破れなかったのが、日本の近代史でしょう。

 それを越える道を、岩井さんは模索します。

 天皇制の作り出す上下関係を、自分の内側も含めて克服する戦い、そして、悲しみや差別の現実の中にいる人の側に共感をもって立つことが、改めて訴えられています。


 あまりにも活動家集団や党派に同調した「対治」の姿勢が多い中で、天皇制に関して、教会からモノを言っていく方向として、これは大事な問題だと思いました。

(桑原重夫氏による書評、神戸教会週報 1993年6月13日で紹介)



1993.6.13 週報

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