はじめからの選び《Ⅱテサロニケ 2:13-17》(1993 週報・本日の説教のために)

1993.5.2、神戸教会
復活節第4主日

(神戸教会牧師16年、牧会35年、健作さん59歳)

この日の説教、テサロニケ人への第二の手紙 2:13-17「はじめからの選び」岩井健作

 今朝は、テサロニケ第二の手紙2章13節〜17節を学びます。

 第一の手紙は、パウロが残した最初の手紙と言われ、テサロニケ教会と使徒パウロとの美しい信仰の交わりが記されています。

 第二の手紙は、第一の手紙とよく似ていますが、現在は、少し後の時代にパウロの名で書かれた手紙という説が有力です。


「主の日はすでにきた」(Ⅱテサロニケ 2:2)といって「怠惰な生活」(3:6-7)をしている者を、「主に愛されている兄弟たち」(2:13)が「訓戒しなさい」(3:15)というのが、手紙の趣旨です。


 今朝読んだ箇所は、手紙の中心に位置していて、前半(1:1-2:12)の「主の日」の到来をめぐって、終末についての教えを語る部分と、後半(3:6-17)の霊的熱狂主義者への訓戒との間で、テサロニケの信徒の信仰の初心を喚起しつつ、著者の祈りを伝えている部分です。

 ”しかし、主に愛されている兄弟たちよ。わたしたちはいつもあなたがたのことを、神に感謝せずにはおられない。それは、神があなたがたを初めから選んで御霊によるきよめと、真理に対する信仰とによって、救を得させようとし、そのために、わたしたちの福音によりあなたがたを召して、わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせて下さるからである。そこで、兄弟たちよ。堅く立って、わたしたちの言葉や手紙で教えられた言伝えを、しっかりと守り続けなさい
 どうか、わたしたちの主イエス・キリストご自身と、わたしたちを愛し、恵みをもって永遠の慰めと確かな望みとを賜わるわたしたちの父なる神とが、あなたがたの心を励まし、あなたがたを強めて、すべての良いわざを行い、正しい言葉を語る者として下さるように。”(テサロニケ人の第二の手紙 2:13-17、口語訳)


 いくつかの章句から、信仰の基本的な養いを与えられます。

《主に愛されている兄弟たち》

 ヨハネの第一の手紙4章10節に、私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛して下さって、とあるように、”神の愛の先行”という、信仰にとっての根本を述べます。

 ”兄弟たち”は、今日的に言えば、”兄弟姉妹たち”でしょう。聖書も男性中心の時代的表現の渦中にあります。


《初めから選んで》

 新共同訳は、別の写本から”救われるべき者の初穂としてお選びになった”と訳しています。

 私は、口語訳の”初めから”の方が、文脈に合っていると思います。

 神の愛の先行という意味と合致するからです。

 ”初穂”だと、他との区別・順位に力点が移ります。


《御霊によるきよめと、真理に対する信仰とによって》

 前半は、神の働きかけを、人間の主観性を超えた「出来事=福音」として捉える面と、それを信じるという人間の主体的行為の二つの面に分けて考えることは大事ですが、御霊のきよめは、その両者を、神の側からもう一度、《包み直す》神の働きかけを言っています。


 15節《言伝え》は、複数形です。

 唯一の伝承というより、教えも多様で、それらを主体的に解釈し、自分のこととして受け止めていくことが《しっかり守る》の意味です。


 16節《わざと言葉》(参照:ルカ 24:19、ローマ 15:18)

 ”「ナザレのイエスのことです。あのかたは、神とすべての民衆との前で、わざにも言葉にも力ある預言者でしたが、祭司長たちや役人たちが、死刑に処するために引き渡し、十字架につけたのです。”(ルカ 24:19b-20、口語訳)


 ”わたしは、異邦人を従順にするために、キリストがわたしを用いて、言葉とわざ、しるしと不思議との力、聖霊の力によって、働かせて下さったことの外には、あえて何も語ろうとは思わない。”(ローマ 15:18-19a、口語訳)


 私たちの存在根拠を「初めからの選び」の中に読み取り、信仰の土台を養いたいと思います。

(1993年5月2日 週報 岩井健作)


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