1993年1月10日、神戸教会週報所収
前週(新年礼拝)説教要旨
(神戸教会牧師16年、牧会35年、健作さん59歳)
新年おめでとうございます。
新年になると「新しさ」とは何か、をまた考えさせられる。
新年の新聞広告、クロネコヤマトの宅急便の宣伝で「変わるもの」と「変わらないもの」というキャッチフレーズがあった。
技術は変わり続けたが、心は創業以来変わらないとのPRである。
新約聖書でも「変わる」新しさを”ネオス”、「変わらない」新しさを”カイノス”で表している。
後者の「新しさ」はもっと正確に言えば、「肉から生まれる」のではなく「霊から=新しく(上から)生まれる」ことだろう。(ヨハネ 3:3)
本日の聖書日課はマタイ1章1〜17節。
いわゆる「系図」である。
マタイは紀元70年のユダヤ戦争終結後、ユダヤ教パリサイ派(律法中心)に対抗して、イエスの福音を宣教しなければならなかった。
だから、旧約の伝統を無視できなかった。
旧約の成就として福音を説いた。
成就とは何か。
旧いものを止揚(アウフヘーベン)しつつ実を結ぶことである。
律法を「変わるもの」として位置付けつつ、それを通して「変わらない」福音を示すことである。
マタイが系図を引用した意図をそこに見る。
系図はアブラハム、ダビデの歴史を示しながら、イエスの誕生は聖霊による懐胎であると語る。(マタイ 1:18以下)
系図もヨセフで切れる。
救いが上より来たことを告げる。
「神がわれらと共にいます」(マタイ 1:23)とは、系図という歴史の闇の延長にこそ、なお「神が」と告げている。
M氏の「教会文庫」への寄贈図書『さよなら天皇制』(1989、住井すゑ、かもがわブックレット 23)を読んで、天皇制と被差別部落とは対をなして、日本の身分社会を規定している重さを改めて知った。
住井さんは「寝た子を起こすな」ではなく、この身分制の闇を自覚することに逆説的希望を示している。
”『橋のない川』を天皇制というものに止めを指すまで書こうと思ってます”と言っている。
「夜はふけ、日は近づいている」(ローマ 13:12)という。
闇の深さを知ることを恐れてはならない。
闇が心を研ぎ、自分が自分自身になっている舞台を備える。
1993年の暗さに分け入って行きたい。
(1993年1月3日、神戸教会新年礼拝説教要旨 岩井健作)
追記:6日夜、日本テレビは「皇太子妃」が「平民」より選ばれたと評価を語った。「平民」の用語への抗議があり、撤回が告げられた。意識の底の「身分」を知らされる。他山の石としたい。(岩井健作)


